「国立天文台」の版間の差分

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=== 歴史 ===
近大日本における国立の[[天体観測|天体観測所]]は、[[大日本帝国海軍|海軍]]水路寮が[[東京府]][[麻布|麻布区]][[飯倉 (東京都港区)|飯倉]](現:[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]][[麻布台]])に設置した観象台から始まる<ref>[[天文学]]において、[[日本書紀]]おける「占星台」の記述がある。また、現在の[[東京都]][[台東区]]には「浅草天文台」が設立された記録がある。浅草天文台は、[[江戸幕府]]の[[天文方]]が、私費を集めて設立した民間の天文台。その後、「明治政府」が欧米の天文学に倣い、東京帝国大学(当時は、理科大学)に設立したのが、「観象台」である。「浅草天文台」は、明治2年3月15日に発せられた[[太政官達]]により、東京府に属せられると同時に廃止された。司天台は、京都の朝廷に勤める天文方が、朝廷から支援を受けて設立された天文台。それぞれの目的は、[[]]の編纂であった。なぜならば、当時の暦は[[太陰太陽暦]]を採用していたため、暦と実際の季節の間にずれが生じやすかったためである。</ref>。
 
別途、東京帝国大学(現在の[[東京大学]])に星学科が設立されたとき、その附属の研究所として同じく[[麻布狸穴町]]に新たな観象台が設置され、1888年([[明治]]21年)に、帝国大学附属'''東京天文台'''となる。東京の発展により、麻布付近は夜の灯火が増えて天体観測に適さなくなった。このため、当時は雑木林や田畑が広がる農村でありながら、[[甲武鉄道]](現:[[東日本旅客鉄道|JR]][[中央本線]])の開業により交通の便が良くなった三鷹への移転が決まり、1914年に工事が1始まった。当初は都会を離れることを嫌がっていた職員やその家族も、[[関東大震災]](1923年)の被災により、三鷹周辺への移住が進んだ<ref>【東京探Q】なぜ三鷹に国立天文台?昔は農村 暗闇が好適/貴重な施設 見学も可能『読売新聞』朝刊2018年10月29日(都民面)。</ref>
 
東京天文台は、[[名古屋大学]]空電研究所や[[文部省]][[水沢VERA観測所|緯度観測所]]と移管統合され、文部省直属の研究機関である国立天文台となる。行政改革により、[[分子科学研究所]]など4つの国立研究所と統合再編及び法人化され、[[大学共同利用機関法人]][[自然科学研究機構]]国立天文台になる。
 
=== 構成 ===