「オジー・スミス」の版間の差分

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守備に磨きをかける一方、打撃にも力を入れるようになり、打率も2割台から徐々に上がっていった。[[1985年]]のロサンゼルス・ドジャースとの[[リーグチャンピオンシップシリーズ]]第5戦では、[[スイッチヒッター]]のスミスが左打席では唯一となるホームランを放ち、チームをサヨナラ勝利に導いた。そして[[1987年]]には自身最高の打率となる.303を記録し、「守備だけの選手」という評価を完全に覆した。同年、肩の故障で守備力が低下すると懸念されたが、猛練習の末にクイックスローを会得して、それをカバーした。
 
ショート守備についてはもはや「神業」と謳われる境地に達しており、ショート最深部(というより、ほぼレフト前)のゴロをノーバウンドのままジャンピングスローでアウトにしたり、ダイビングしながらイレギュラーバウンドを素手で処理したりという常識では考えられないものだった。「(一試合の中で)スミスがそのバットで1点をたたき出すことはまれだ。'''しかし彼はそのグラブで確実に2点は防いでくれる'''」と讃えられている。
 
{{by|1991年}}には151試合の出場で失策はわずか8個と、守備機会の多い遊撃手としては異例の安定感を見せた。また、{{by|1992年}}まで13年連続でのゴールドグラブ賞受賞は遊撃手として史上最多記録。[[2007年]]にはオールタイム・ゴールドグラブチーム(守備において歴代最高の選手)に選出されている。