「支那の夜」の版間の差分

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その一方、1943年2月上海でのリバイバル上映時(タイトル「春的夢」)には現地で主題歌が流行していた為、13日間約2万3千人の観客(中国人が9割)を動員。「観客が主題歌を和して歌う」現象が起き<ref>野口久光「中国人の鑑識眼」『映画旬報』1943年6月1日号、pp.20-21</ref>、雑誌「大華」には「私みたいな映画ファン兼音楽ファンにとって、『支那の夜』は紛れもなく宝のような作品だ」という中国人観客の投書が寄せられた<ref>『大華』「問答欄」1943年6期 「戦時日中映画交渉史」アンニ著 岩波書店、p.108</ref>。
 
しかし映画の批評は「この映画で彼女(李香蘭)が[[日本人]]からさんざん恩を売られ、日本人にだけ都合のいい[[アイドル]]の役に甘んじていることを快く思わなかった」という事で厳しかった<ref>清水晶『上海租界映画私史』新潮社、1995年、p.226</ref>。
 
== 戦後 ==