「感謝祭」の版間の差分

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== アメリカ合衆国における感謝祭の起源説 ==
もともと、[[ニューイングランド]]を開拓した[[ピューリタン]]の間には、共同体の節目節目に聖職者の宣言によって不定期に感謝祭を開く習慣があった。一部のピューリタンの教義の中に、[[クリスマス]]や[[復活祭]]を含む、ローマ教会の祝日を全て廃止しようとする考え方があったからである。現在の感謝祭の起源として一般に信じられているのは、[[イギリス]]から現在の[[マサチューセッツ州]]の[[プリマス (マサチューセッツ州)|プリマス]]に宗教的自由を求めて移住して来た[[ピルグリム・ファーザーズ]]と呼ばれる入植者の一団が、本国から持ってきた種子などで農耕を始めたところ、現地の土壌に合わず[[飢饉]]による[[餓死]]者まで出したところ、アメリカ先住民の助けにより危機を脱したので、その感謝を表す目的で[[1621年]]に先住民を招いて[[収穫]]を祝う宴会を開いたことである。現場にいた[[ウィリアム・ブラッドフォード]]やエドワード・ウィンズロー([[Edward Winslow]])らの私記によれば、宴会は3日間続き、入植者53人と先住民90人が参加したとある。1623年7月30日には、最初の正式な感謝祭が開かれた。
ふあ
 
1620年に彼らがアメリカ大陸に来た時点で、ニューイングランド周辺にいたインディアンのうち約90%は病気により死亡していた。その理由としては、1492年にコロンブスがアメリカにやってきた際に、当時アメリカ大陸内では存在しなかったヨーロッパから運ばれたインフルエンザ菌、その他の病原体に対する抵抗力が無かったということがある。{{要出典|title=「事実は無い」と断言するに足る文献・出典が必要|date=2010年10月}}
 
その結果、1620年に[[ピルグリムファーザーズ]]がプリマス植民地にやってきた際には、無人状態となったインディアン達の住居や日用品を使うことで厳しい冬を過ごす事ができたという。インディアン達が彼らに食料や毛皮のジャケットなどを提供、両者の間に友好関係があったとされるという事実は確認されているとは言いがたい。{{要出典|title=「事実は無い」と断言するに足る文献・要出典|date=2009年11月}}
へい
 
この異説によると、事実とは異なった話が一般になっている背景には、マサチューセッツ植民地の統治者[[ウィンスロップ]]がアメリカにはインディアンとの間の戦争や虐殺、略奪という暗い歴史しか無いので、「明るい話を広めよう」と使われたとも言われている。{{要出典|date=2009年11月}}白人の間で現在広く伝えられている“感謝祭”の歴史は史実とするには議論の余地がある。{{要出典|title=「白人の間で」という語は広範囲にわたりすぎる上定義が曖昧。投稿者の主観か想像の疑義がある|date=2009年11月}}