「王錫 (南朝梁)」の版間の差分

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== 経歴 ==
王琳([[王フン|王份]]の子)の次男として生まれた。幼くして聡明であり、兄弟たちと学問の講義を受け、休憩に入ると兄弟たちは立ち去ったが、王錫はいつもひとり居残って立ち上がらなかった。7、8歳のとき、母の義興公主に従って宮中に入ると、[[蕭衍|武帝]]が王錫に面会してその賢さを褒めた。王錫は学問に取り組んで飽きず、そのために右目を悪くした。義興公主は学問の講義があるたびに、かれの部屋を飾り立てたが、王錫は子どもでありながら、そうしたことに興味を持たなかった。
 
12歳で国子生となり、14歳で清茂に挙げられた。秘書郎に任じられて、[[張サン|張纘]]と名声をひとしくし、ともに太子舎人となった。父が死去すると、喪に服して礼を尽くした。服喪が終わると、太子洗馬に任じられた。ときに昭明太子[[蕭統]]がまだ幼く、臣僚と触れ合ったことがなかったが、武帝は王錫と張纘に太子の師友として仕えるよう命じた。王錫は外戚として永安侯に封じられた。晋安王友に任じられたが、病と称して赴任せず、勅許を受けて[[建康 (都城)|建康]]にとどまった。晋安王[[簡文帝 (南朝梁)|蕭綱]]の[[加冠]]の日には、王府の同僚が王錫の仕事を代行した。
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== 子女 ==
*王
*王湜