「ジャガイモ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
→‎概要: 松田寛人
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
dx.doi -> doi , 記事の理解につながらない過剰な内部リンクを除去
61行目:
ジャガイモは南米アンデス中南部の[[ペルー]]南部に位置する[[チチカカ湖]]畔が発祥とされる<ref>{{Harvnb|山本紀夫|2004}} - 山本は「中央アンデス高地の市で売られている多種多様な品種のジャガイモはアンデスの人々が何千年もかけて改良した結果に他ならない」と述べている。</ref><ref>{{Harvnb|山本紀夫|2004}} - 山本は、同時にジャガイモの祖先種と見られる[[野生種]]の存在についても言及している。</ref>。もっとも初期に栽培化されたジャガイモは ''Solanum stenotomum'' と呼ばれる[[染色体]]数24本の[[二倍体]]のもので、その後四倍体の ''Solanum tuberosum'' が栽培化され、現在世界中で広く普及するに至ったとされている{{Sfn|山本紀夫|2004}}。
 
このジャガイモが[[ヨーロッパ大陸]]に伝えられたのは、[[インカ帝国]]の時代、[[15世紀]]から[[16世紀]]頃とされている。当初、インカ帝国の食の基盤は[[トウモロコシ]]ではないかと伝えられていたが、[[ワマン・ポマ]]が1615年に残した記録<ref>アンデスの歴史や文化について書かれた資料『新しい記録と良き統治』において、ジャガイモの植え付けを行う人の様子が記録されている。</ref>や[[マチュ・ピチュ]]の段々畑の史跡研究、気象地理条件<ref>トウモロコシは温暖な気候に適した作物であり、3500mを超える高地での栽培跡が確認できていない一方、ジャガイモは4000m級の場所でも栽培跡が確認されている。</ref>、食生活の解析<ref>[[インカ人]]の人骨に含まれるたんぱく質から生前の食生活を解析した結果、主要な食料源はイモ類、豆類であったことが判明した。</ref>など、複数方面からの結果が、食基盤がジャガイモであったことを示しており、近年見直しが図られている<ref>{{Cite |和書 |author=石毛直道 |title=食文化探訪 |date=1998 |publisher=新人物往来社 |isbn=4404026846 |ref=harv}}</ref>。しかし、具体的に「いつ」「誰が」伝えたのかについてはっきりとした資料は残っておらず、[[スペイン人]]がジャガイモを本国に持ち帰ったのは[[1570年]]頃で、新大陸の「お土産」として船乗りや兵士たちによってもたらされたものであろうと推測付けられている<ref>ラリー・ザッカーマン『じゃがいもが世界を救った』</ref>。さらに1600年頃になるとスペインからヨーロッパ諸国に伝播するが、この伝播方法にも諸説あり、はっきりとは判明していない<ref>{{Harvnb|伊藤章治|2008}}では、イギリスへの伝播についてはスペインの船がアイルランド沖で座礁し、積荷のジャガイモが知られるようになったとする説や、航海家[[ウォルター・ローリー]]による説などが紹介されている</ref>。いずれにせよ[[16世紀|16世紀末]]から[[17世紀]]にかけては植物学者による菜園栽培が主であり<ref>[[観葉植物]]として楽しまれていたが、16世紀の後半[[エリザベス1世]]がジャガイモの若芽を食べてしまい、それに含まれている有害物質のソラニン中毒になったことなどもあり、普及が遅れた。</ref>、ヨーロッパの一般家庭に食料としてジャガイモが普及するのは、さらに時を待たねばならない。普及は、[[プロイセン王国]]で[[三十年戦争]]により荒廃し、飢饉が頻発した際に作付け(栽培)が国王の勅命により強制、奨励されたことや、踏み荒らされると収穫が著しく減少する[[ムギ]]に代わり、地下に実るため踏み荒らしの影響を受け難い作物として、農民に容易に受け入れられた結果である<ref name="seikatsueisei1957.29.177">[httphttps://dx.doi.org/10.11468/seikatsueisei1957.29.177 神戸保:ジャガイモ] 生活衛生 Vol.29 (1985) No.3 P177P.177, {{doi|10.11468/seikatsueisei1957.29.177}}</ref>。さらにジャガイモは18世紀には、[[アイルランド系アメリカ人|アイルランド移民]]の手により北アメリカへ渡り、[[アメリカ独立戦争]]における兵士たちの胃袋を満たす貴重な食料源となった。
[[ファイル:IrelandEuropePopulation1750.PNG|thumb|350px|アイルランドと1750年からのヨーロッパの人口の変動。1845年から49年にかけてのアイルランドでの[[ジャガイモ飢饉]]の悲惨な結果とそれ以前の人口増加を表している。]]
[[アイルランド]]の小作農家たちは元来は主にムギを栽培していたが、地主に地代を納めなくてもよい自分らの小さな庭地で、生産性の非常に高いジャガイモの栽培を始めた。それによって、ジャガイモが貧農の唯一の食料となってゆき、飢饉直前には人口の3割がジャガイモに食料を依存する状態になっていた。ジャガイモは寒冷地でも良く育ち、アイルランド人口の増加を支えた。しかし、[[1845年]]から[[1849年]]の4年間にわたってヨーロッパ全域でジャガイモの疫病が大発生し、壊滅的な被害を受けた。ジャガイモを主食としていた被支配層のアイルランド人の間からは、[[ジャガイモ飢饉]]で100万人以上ともいわれる多数の餓死者を出した。また、イギリス、北アメリカ、オーストラリアなどへ、計200万人以上が移住したといわれる。アメリカ合衆国に渡った[[アイルランド系アメリカ人|アイルランド人移民]]はアメリカ社会で大きなグループを形成し、経済界や特に政治の世界で大きな影響力を持つようになった。この時代のアメリカへの移民の中には、[[ケネディ家]]の先祖も含まれていた。
68行目:
 
=== 日本への伝来 ===
諸説あるが、[[1598年]]に[[オランダ人]]によって持ち込まれたとされる<ref name="jag1972.27.228">[httphttps://dx.doi.org/10.5458/jag1972.27.228 吉町晃一:澱粉資源ジャガイモ] 澱粉科学 Vol.27 (1980) No.4 P228-243, {{doi|10.5458/jag1972.27.228}}</ref>。[[ジャワ島]]の[[ジャカルタ|ジャガタラ]]を経由して伝来したため'''ジャガタライモ'''と呼称されたが、それが短縮されジャガイモとなった<ref name="jag1972.27.228"/>。
 
[[江戸時代]]後期の18世紀末にはロシア人の影響で[[北海道]]・[[東北地方]]に移入され、飢饉対策として栽培された。[[蘭学者]]の[[高野長英]]はジャガイモ栽培を奨励している。また、江戸後期には[[甲斐国]]の代官であった[[中井清太夫]]がジャガイモ栽培を奨励したとされ、[[享和]]元年(1801年)には小野蘭山が[[甲斐国]]黒平村([[甲府市]])においてジャガイモの栽培を記録している(『甲駿豆相採薬記』)<ref>宮澤富美恵「甲州のジャガイモ栽培」『甲州食べもの紀行』[[山梨県立博物館]]、2008年</ref>。また、[[アイヌ]]の人々もジャガイモを栽培していた<ref>{{PDFlink|[http://www.coleman.co.jp/event/winter/bbw_0903.pdf アイヌ民族の「食」]}} - [[アイヌ民族博物館]]</ref>。
192行目:
ジャガイモは各地域で様々な料理に用いられる。形状・加熱の具合や水分量によって多種多様な食感になり、様々な調味料や油脂・乳製品などとの相性が良い。
 
かつて、[[デザイナーフーズ計画]]のピラミッドで3群に属しており、3群の中でも、ローズマリー、セージ、大麦、ベリーと共に3群の最下位に属するが、癌予防効果のある食材であると位置づけられていた<ref>大澤俊彦、[httphttps://doi.org/10.2740/jisdh.20.11 がん予防と食品]、大澤俊彦、 日本食生活学会誌、Vol.20 (2009)年 20巻 No.1 p.11-16, {{doi|10.2740/jisdh.20.11}}</ref>。
 
日本では一般家庭料理の範疇に属するものとして、[[肉じゃが]]や[[粉吹き芋]]、[[ポテトサラダ]]、[[いももち]]など、じゃがいもを主な食材とする料理がある他、[[カレー_(代表的なトピック)|カレー]]、[[シチュー]]、[[グラタン]]、[[おでん]]、[[味噌汁]]などの具にも広く用いられている。単に茹でたジャガイモに、バターや塩をかけて食べる[[じゃがバター]]もポピュラーな食べ物である。[[北海道]]の観光地ではよく名物として売られている。
230行目:
=== メークイン ===
[[画像:Potato cv MayQueen.jpg|thumb|150px|right|メークイン]]
生食用品種。英名は"May Queen"。イギリスで民間に栽培されていたのが[[1900年]]に登録され、[[大正|大正時代]]に日本に持ち込まれた品種<ref>日本いも類研究会、[http://www.jrt.gr.jp/var/mayqueen.html メークイン]、2012年1月23日閲覧</ref>。[[北海道]][[厚沢部町]]の道立試験場で初めて栽培されたことから、同町はメークイン国内発祥の地として自認しており、毎年、夏祭りで世界最大の[[コロッケ]]を揚げてPRしている<ref>{{Cite web |date= 2010/7/25|url= http://www.ehako.com/news/news2009a/1542_imode_msg.shtml|title= 厚沢部、巨大コロッケ世界一奪還! |publisher= 函館新聞|accessdate=2018-08-04}}</ref>。
男爵イモよりもねっとりしていて、煮くずれしにくい。このため、[[カレー_(代表的なトピック)|カレー]]や[[シチュー]]や[[肉じゃが]]など、煮て調理する料理に適している。男爵薯に比べて長い形状で、でこぼこもそれほどひどくなく、皮はむきやすい。主に西日本での消費が多い。世界的に見ても、特に日本で人気がある種(イギリスでも今日では忘れ去られている)。「メイクイーン」と呼ばれることも多いが、品種名としてはメークインが正しい名前である。花は紫色で雄性[[不稔]]。長年派生種は存在しなかった<ref>[http://www.geocities.jp/a5ama/ms.html *悲しい女王『メークイン』*]</ref>が、21世紀に入って俵正彦により[[突然変異]]から「タワラ小判」「タワラ長右衛門宇内」が選抜された。
 
=== キタアカリ ===
[[画像:Potato cv kitaakari.JPG|thumb|150px|right|キタアカリ]]
生食用品種。男爵薯を母親として、ジャガイモシストセンチュウ抵抗性を付与させて農林水産省北海道農業試験場(現:[[北海道農業研究センター]])で育成したもので、[[1987年]]に品種登録された。[[カロテン]]や[[ビタミンC]]の含有量が多い。男爵薯同様、粉吹き芋やマッシュポテトに適している。黄色が強めである。
 
=== コナフブキ ===
242行目:
=== とうや ===
[[画像:Potato cv Toya.jpg|thumb|150px|right|とうや]]
生食用品種。ジャガイモシストセンチュウ抵抗性およびウイルス病 (PVY) 耐性を目的として北海道農業試験場で育成され、[[1995年]]に品種登録された。内部が黄色く、[[カロテン]]や[[ビタミンC]]の含有量が多い。口当たりが滑らかで、ポテトサラダに適している。JAたんの(現:JAきたみらい端野支所)では、独自ブランド名として黄爵(こうしゃく)と名付けて販売している。
 
=== ワセシロ ===
生食(加工)用品種。北海道立根釧農業試験場で育成され、[[1974年]]に品種登録。新じゃがポテトチップの材料として使用される。
 
=== トヨシロ ===
[[画像:Potato cv Toyoshiro.jpg|thumb|150px|right|トヨシロ]]
加工用品種。北海19号とエニワの交配種で、[[1976年]]に品種登録。ポテトチップの材料として生産されている品種。風味は男爵薯に較べると劣るといわれるが、揚げると男爵に比べ色合いがよい。
 
=== ホッカイコガネ ===
生食用品種。「トヨシロ」を母、「北海51号」を父として交配された品種で、[[1981年]]に品種登録。細長い形はメークイン似ており、やや黄色みを帯びている。煮崩れに対する強さはメークインを上回り、「黄金メーク」「コスモメーク」等の別名でも呼ばれる。収穫時期がメークインより遅いので、その代替品として店舗に並ぶことも多い。
 
=== インカのめざめ ===
[[画像:inca no mezame.jpg|thumb|150px|right|インカのめざめ]]
[[2002年]]に種苗登録された小粒で黄色みの強い品種。アンデス産の小粒で食味が良い種(''S. tuberosum'' ではなく、2倍体の ''P. phureja'')と、アメリカの品種 Katahdin の半数体を交配させ、日本の長日条件下で栽培できるように開発した2倍体の品種(2倍体のジャガイモの品種は日本初)<ref>{{Cite web |date= 2009年|url= https://agriknowledge.affrc.go.jp/api-agrknldg/media/pdf/show/id/2010773136|title= 橙黄肉色を有する二倍体のバレイショ品種「インカのめざめ」 の育成
|format=PDF |publisher= 農林水産省農林水産技術会議事務局筑波産学連携支援センター|accessdate=2018-08-04}} </ref>。甘みが強く、サツマイモや[[クリ|栗]]に似た味を持つなど食味はよいが、収量は少なく、病虫害に弱いことから他の品種と比較して栽培が難しい。また発芽しやすく、長期の保存には不向きである。生食用品種として人気が高まってきているが、生産量は少なくジャガイモの中では高価である。北海道十勝地方の[[幕別町]]などが主産地である。長期冷蔵貯蔵によりさらに糖度の増加した物もあり、近年ではその風味を生かした本格焼酎の原料にもなっている。
 
=== デジマ ===
[[画像:Potato cv Dejima.jpg|thumb|150px|right|デジマ]]
[[長崎県農林技術開発センター|長崎県総合農林試験場]]で交配・育成された品種で、[[1971年]](昭和46年)に品種登録された。品種名は[[江戸時代]]に外国への窓口であった長崎の[[出島]]に因んだもの。長崎県を中心に[[九州]]で多く栽培される。多収で薯が大きくなる品種。肉色は黄白色で適度に煮崩れし美味だが、明るい所では[[緑化]]しやすい。
 
=== ニシユタカ ===
[[画像:Potato cv Nishiyutaka.jpg|thumb|150px|right|ニシユタカ]]
長崎県をはじめとした暖地での主要品種の一つ。長崎県総合農林試験場で交配・育成され、[[1978年]](昭和53年)に品種登録された。親は母がデジマ、父が長系65号。茎は短く直立、肥大性良、多収で栽培しやすい品種。
 
=== ラセット・バーバンク ===
[[画像:Russet_potato.jpg|thumb|150px|right|ラセットバーバンク]]
英名は"[[:en:Russet Burbank potato|Russet Burbank potato]]"。[[1875年]]に[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の種苗家[[ルーサー・バーバンク]]が開発した『バーバンク』の[[突然変異]]により[[1910年]]頃に誕生。大きくなるため[[フライドポテト]]に向き、日本へも加工品が多く輸出されている。
 
日本では環境の違いから収量が得られず<ref>浅間和夫、ジャガイモ博物館、[http://www.geocities.jp/a5ama/russetb.html ラシットバーバンク(ラセット・バーバンク)]、2012年1月23日閲覧</ref>栽培されていないため、もっぱら加工品の輸入に頼っている。
276行目:
 
=== シンシア ===
仏名は"Cynthia"。[[フランス]]のジャガイモ育種・販売会社であるジェルミコパ社により育成され、[[1996年]]に登録された品種。日本では[[2003年]][[2月]]に品種登録された。他の品種と比べ卵形のシンプルな形状をしており、貯蔵性に優れ煮物にしたときの煮崩れが少ないなどの理由で人気がある。
 
=== アンデス赤 ===
287行目:
 
=== イングランド ===
ジャガイモが[[ヨーロッパ]]に流入した当初、ヨーロッパには[[芋]]という概念がなかった。そのため、芋というものを食べると分かるまで、本当は有毒である葉や茎を食用とする旨が書かれた料理本が[[イングランド王国|イングランド]]で出版され、それを真に受けたイングランド人がソラニン中毒を起こした。
 
=== アイルランド ===
330行目:
 
==== 発芽防止剤 ====
[[アメリカ合衆国]]などでは、収穫後に[[クロロプロファム]]という薬品を散布して発芽を抑制する方法をとっている<ref>江藤守総、「[https://wwwdoi.jstageorg/10.jst1584/jpestics.go20.jp/article/jpestics1975/20/3/20_3_407/_article/-char/ja/407 20周年にあたって]」Journal of Pesticide Science., Vol. 20 (1995) No. 3 P 407-414, {{DOI|10.1584/jpestics.20.407}}</ref>。日本では[[除草剤]]として登録されている[[農薬]]で<ref>貞包眞吾、酒井智代、林明子 ほか、[https://wwwdoi.jstageorg/10.jst1584/jpestics.go23.jp/article/jpestics1975/23/4/23_4_410/_article/-char/ja/410 除草剤クロルプロファムの免疫化学測定] Journal of Pesticide Science., Vol.23 (1998) No.4 P 410-413, {{DOI|10.1584/jpestics.23.410}}</ref>、ジャガイモの発芽防止目的に使用することは許可されていない。この薬品は[[カナダ]]・米国・[[オランダ]]その他の主要ジャガイモ生産国において、[[フライドポテト]]や[[ポテトチップ]]などの加工用ジャガイモに普通に使用されている薬品なので、これらの国から輸入されているジャガイモ加工製品には普通に検出される<ref>永美大志、[https://wwwdoi.jstageorg/10.jst2185/jjrm.go45.jp/article/jjrm1952/45/1/45_1_19/_article/-char/ja/19 バレイショ加工品中の発芽防止剤残留] 日本農村医学会雑誌 Vol.45 (1996-1997) No.1 P.19-23, {{DOI|10.2185/jjrm.45.19}}</ref>。
 
==== 放射線照射 ====
[[放射線]]である[[ガンマ線]]を照射する方法がある。[[コバルト60]]から放出されるガンマ線により、芽の組織の細胞分裂を阻害することで発芽を抑制する。ジャガイモへの放射線照射は[[1972年]]に[[厚生省]](現[[厚生労働省]])により認可されたが、[[1974年]]1月から道の許可を得て[[北海道]]の[[士幌町]]農業協同組合が実施しているのみである。なお、日本において放射線の[[食品照射]]が認められている食品はジャガイモだけである。
 
ジャガイモの発芽防止のために行う放射線照射の認知度は28%と低く、安全性や必要性など食品への放射線照射に関する基本的事項についての分かりやすい情報提供の不足を指摘する声が多い<ref>[http://www.mhlw.go.jp/shingi/2010/05/s0518-10.html 食品への放射線照射についての科学的知見に関する調査結果について] 薬事・食品衛生審議会食品衛生分科会食品規格部会 (平成22年5月18日開催)配布資料</ref>。