「グスタフ1世 (スウェーデン王)」の版間の差分

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== 生涯 ==
[[1509年]]から[[1514年]]に[[ウプサラ大学]]に学び、[[1518年]]から翌年にかけて[[スウェーデン]]独立派の[[貴族]]として[[デンマーク]]軍と戦って捕らえられる。[[1520年]]、[[ストックホルム]]でデンマーク王[[クリスチャン2世 (デンマーク王)|クリスチャン2世]]による[[ストックホルムの血浴]]が起こると、脱出して[[ダーラナ地方|ダーラナ]]に帰り[[1521年]]にこの地方の[[農民]]を率いて反乱を起こし成功した。スウェーデンの[[摂政]]となることを宣言し、1523年、[[リクスダーゲン|スウェーデン国会([[:en:Riksdag|Rikstag]](Rikstag)選ばれよって[[国王]]となっに選出された。
 
[[1527年]]、[[ヴェステロース]]で開かれた国会において[[法律]]を定め「この国では簡素で真実なる神の御[[言葉]]のみを弘めるべき」とし、[[ルーテル教会|ルター派]]の教義を全面的に認め、スウェーデン教会が[[ローマ]]から分離するきっかけをつくった。ついで国土の26%を占める[[カトリック教会]]の土地を没収し、国土の5%にすぎなかった王家の土地を拡大し財政基盤を改善した。行政改革を行い、ダーラナや[[スモーランド]]に起きた地方の反乱を厳しく鎮圧した。