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'''岩崎 恭子'''(いわさき きょうこ、[[1978年]][[7月21日]] - )は、[[静岡県]][[沼津市]]出身の[[日本]]の元[[競泳]]選手、指導者。専門種目は[[平泳ぎ]]。スポーツコメンテーター、[[日本オリンピック委員会]]事業・広報専門委員、[[日本水泳連盟]]競泳委員・基礎水泳指導員([[インストラクター|水泳インストラクター]])<ref>[http://www.sports-biz.co.jp/athlete/index.cgi?actmode=AthleteDetail&id=82 選手詳細]、スポーツビズ</ref>。
 
[[1992年バルセロナオリンピック]]金メダリスト。競泳史上最年少金メダル獲得記録保持者であり、る<--!日本人全種目の金メダリストの中でも最年少記録保持者。-->
 
== 経歴 ==
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== 人物 ==
[[沼津市立第五中学校]]から[[日本大学三島高等学校・中学校|日本大学三島高等学校]]を経て[[日本大学文理学部]][[心理学科]]卒業。
水泳を始めたのも、姉が水泳を習っていたため、自分も水泳を習いたいと言って水泳を始める。姉が目標であり、姉の背中を追い続ける。
[[1992年]]、バルセロナオリンピックでは、当初[[岡林くみこ]]が期待の星であり岩崎は全くの無名の選手であり全くのノーマークであった。岩崎自身もバルセロナオリンピックの前「決勝に残れればいい方だと思います。」とテレビで語っている。当時の世界記録保持者のアニタ・ノールとタイムの差が大きく開いてあったため、岩崎本人もまさか自分が金メダルが取れるとは夢にも思わなかったという。
 
1992年の[[第43回NHK紅白歌合戦]]では、[[光GENJI]]の『[[リラの咲くころバルセロナへ]]』の曲紹介でゲスト出演した(光GENJIの[[諸星和己]]は沼津の隣である[[富士市]]の出身)。
バルセロナ五輪で岩崎自身もよもやの金メダルを取ったことにより、岩崎は日本全国から注目されストーカーや嫌がらせの電話がたくさん来ることようよりなったため岩崎は「金メダルなんからなければ良かったことをと酷く後悔するようになった。そのことによりモチベーションも低下しやる気も出ず練習にも身が入らなくなっていく。「練習をサボっていい結果が出なければ注目されないだろう」と考えるようになった岩崎テレビでっている。
その後、姉が水泳を辞めてしまったが、金メダルをとったことによる自分へのストーカーや嫌がらせの電話を目の当たりにしたせいで姉の夢を壊してしまったのでは、と苦悩した時期もあった。それでも岩崎の姉は、「恭子のせいじゃないよ」と庇っていたという。
 
[[1998年]]、[[伝染性膿痂疹]]を発症した影響から<ref>{{cite video |people= |date=2010-7-13 |title=[[魔女たちの22時]] |url= |medium=テレビ番組 |publisher=[[日本テレビ放送網|日本テレビ]] |accessdate= |time= }}</ref>20歳で競技選手を引退。その後もテレビなどで競泳のコメンテーターとして活動中。尚[[2000年シドニーオリンピック]]400mメドレーリレー銅メダリストの[[田中雅美]]は同級生(1979年1月生まれ)で、平泳ぎ種目の[[ライバル]]ながら現役時代から大変仲が良く、現在テレビでもしばしば岩崎と共演するなど親交が続いている。