削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
5行目:
1つは[[律令制]]の行政機関である[[太政官]]機構の事実上の最高審議会議体である「[[陣定]]」(陣議)などの公卿による会議の場における議長に相当する一番上位の序列(上首)の者を指す。ただし、公卿の中でも[[摂政]]・[[関白]]は天皇の補佐・代理人の位置づけであるので陣定には加わらず、[[太政大臣]]も名誉職であるので通常の場合は、筆頭は [[左大臣]]、欠員の場合には[[右大臣]]あるいは[[内大臣]]となる。これに相当する公卿は実質上の太政官の長にあたるため、特に[[一上]]と呼んだ。通常は、一上が太政官の会議を主宰することになるが、常に出席している訳ではないため、実際の運営においては当日の会議に参加した公卿の中で上首にあたる人物が一上であるなしに関わらず上卿として会議を主宰した(ただし、[[中納言]]以上に限られ、[[参議]]のみ出席の場合には会議は成立しなかった)。これを「日の上卿」すなわち、'''日上'''(ひのしょう)と呼ぶ。上卿となった公卿は[[弁官]]・[[外記]]・[[史 (律令制)|史]]を動員して準備を行い、会議の内容を天皇への[[上奏]]および摂関への報告を行ったり、[[太政官符]]・[[官宣旨]]などの必要な公文書の発給手続などを行ったりした。天皇・摂関の裁可を必要とする文書を奉勅宣、上卿の判断で裁可・発給が可能な文書を上宣と称した。
 
もう1つは年中行事など、あらかじめ翌年行われる事が明らかな行事に関しては、その行事を取り仕切る[[行事所]]の長官を務める公卿を前年末に予め担当する公卿を[[除目]]により補任した。この除目を[[公卿分配]](上達部分配)、担当者を行事上卿と称した。ただし、[[節会]]や[[祈年穀奉幣]]は一上が務めて[[内弁]]と称し、[[大嘗会]]や[[仁王会]]は大納言が務めて[[検校]]と称する慣例があった。この時の上卿は参議が務める場合もあるが国忌・大祓・吉田祭・梅宮祭といった「小行事」と称される小規模あるいは重要性が低い行事に限定され、多くの行事は[[中納言]]以上が務めていた。
 
[[院政期]]以降になると、元は[[別当]]と称されていた[[所 (機関)|所]]の長官や社寺などとの取次役を指して、上卿と称する例が現れる。前者の代表的な例として[[記録所]]の長官などが挙げられ、後者の場合は[[伊勢神宮]]・[[賀茂神社]]・[[六勝寺]]などの重要な社寺に関する奏宣などを担当し、[[宣下]]によって補任した。後者は[[鎌倉時代]]後期以降、[[寺社伝奏]]へと発展したとみられている。