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大学を卒業後、数々のテレビ・映画作品に助監督として携わった後、1985年に[[東映]]テレビプロに移籍。[[不思議コメディーシリーズ]]の助監督として務め、『[[勝手に!カミタマン]]』より近藤杉雄と共にチーフ助監督。32歳のときに『[[おもいっきり探偵団 覇悪怒組]]』にて監督デビューを果たす(同作品ではシナリオも執筆している)。次回作の『[[じゃあまん探偵団 魔隣組]]』でもメガホンを執った後作品中途で東映を離れ、同作品のプロデューサーを務めていた[[フジテレビジョン|フジテレビ]]の[[石原隆]]の紹介で『[[世にも奇妙な物語]]』の現場に助監督として携わる。同作品終盤では監督を務めたあと、東映・中曽根千治、[[手塚治]]プロデューサーの下で再び東映での仕事も手掛けるようになる。
 
シナリオライターでは『[[ビーナスハイツ]]』『[[世にも奇妙な物語]]』『[[電磁戦隊メガレンジャー]]』などで組んだ同じ年生まれの[[武上純希]]との仕事が非常に多かった(下記参照)、その付き合いは2011年現在に至るまで約20年続いている。プロデューサーは前述の[[石原隆]]と以前は近しく、近年は東映の手塚治と[[塚田英明]]、松竹の[[中嶋等]]と近しい。
 
コメディ・シリアス、一般ドラマ・特撮(東映、松竹関係なく)を多岐に撮る存在は演出家として稀有の存在といっていい。2008年4月のクールでは『[[科捜研の女]]』と『[[トミカヒーロー レスキューフォース]]』の両作品でメイン監督を務めるなど精力的に活動した。尚、『科捜研の女』にはスタート当初から第10シリーズまで全てメイン級の監督として参加をしていたが、2011年10月スタートの第11シリーズよりローテーションから外れた。2011年1月放送の『[[フェイク 京都美術事件絵巻]]』が最後の演出作品となった。