「仁徳天皇」の版間の差分

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『古事記』には「御陵は毛受(もず)の耳原にあり」、『日本書紀』には寿陵であったと記され、「(八十七年)冬十月の癸未の朔己丑に、百舌鳥野稜(もずののみささぎ)に葬(はぶ)りまつる」とある。『[[延喜式]]』諸陵寮には「百舌鳥耳原中陵。在和泉国大鳥郡。兆域東西八町。南北八町。陵戸五烟。」と記されている。陵名の由来は、陵墓造営中に野から鹿が走り込んできて絶命。その鹿の耳の中から[[モズ]]が現れたことから地名を「百舌鳥耳原」と名づけられる(なお、モズは[[大阪府]]の鳥である)。また、この古墳の北と南にも大古墳があり(北陵は反正天皇陵、南陵は履中天皇陵)、「中陵」と名づけられている。
 
また[[皇居]]では、[[皇霊殿]]([[宮中三殿]]の1つ)において他の歴代天皇・皇族とともに天皇の霊が祀られている。出土品がボストン美術館に保存されているが、6世紀の物とされ、発掘調査が開始される<ref>{{cite journal|journal=プレイボーイ|Publisher=集英社|page=156-158|date=20181119|vol=47}}</ref>
 
== 在位年と西暦との対照 ==