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=== 建国神話 ===
『[[論衡]]』(『後漢書』東夷伝、『魏略』)にこうある。「昔、北夷
また『魏書』や『三国史記』には、高句麗の始祖朱蒙も夫余の出身であり、衆を率いて夫余から東南に向かって逃れ、建国した話が載っている。
『三国史記』や『[[三国遺事]]』には、[[解夫婁王|解夫婁]]が治めていたがのちに太陽神の[[解慕漱]]が天降ってきたので解夫婁は東に退去して別の国(東夫余)を建てたという。
神話には、後に偉大な事蹟を残す人物が卵から生まれるという南方系神話に共通の[[卵生神話]]と<ref>対して、貴人の母が日光に当たって妊娠するという北方系神話の[[日光感精神話]]がある。</ref>、生まれの不遇をもった貴人が動物の助けを得て乗り越えるという[[貴種流離譚]]の共通の要素が見られる。
===漢代===
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