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翌7月場所は優勝候補筆頭と言われたが、初日で新小結・[[貴乃花光司|貴花田]]に敗れ、その後も膵臓炎の再発で大きく崩れてしまい8勝7敗<ref>他の横綱陣も北勝海は9勝6敗、大乃国は9日目に引退という成績不振だった。</ref>。なお、この場所千秋楽の北勝海戦が、日本出身力士の横綱同士による最後の対戦となっている。又これが旭富士の現役最後の千秋楽まで皆勤場所となった。9月場所は2日目の[[花田勝|若花田]]に、右手一本の[[上手投げ]]で吹っ飛ばされる等散々の内容で6日目より途中休場、平幕時代の1987年1月場所から続いた連続勝ち越し記録も、28場所でストップした<ref>当時[[北の湖敏満|北の湖]]の50場所に次いで、[[若乃花幹士 (2代)|2代若乃花]]と並ぶ歴代2位タイだった。現在は武蔵丸(55場所)・[[白鵬翔|白鵬]](51場所)・北の湖(50場所)に次ぎ、2代若乃花と並び歴代4位タイ。</ref>。翌11月場所も慢性膵炎と[[脊椎]]分離症のため全休した。
 
そして復帰した[[1992年]](平成4年)1月場所、病が回復しないまま<ref name="ref156" /> で進退を賭けて臨んだものの、初日・[[曙太郎|曙]]、2日目・安芸ノ島に良い所無く連敗。最後の相撲となった3日目・若花田にも[[下手投げ]]で敗れて3連敗を喫してしまい、同場所限りで現役引退を表明。横綱が初日から3連敗したのは[[2018年]][[11月13日]]に[[稀勢の里]]が達成するまで、26年10か月にわたりワースト記録であった。引退会見では「気力の限界で、もう力が出ないので引退させていただきます」と力が抜けるように言い放つ。在位数は僅か9場所の[[横綱#短命横綱|短命横綱]]に終わった<ref name="100retsu"/>。引退の理由は膵炎の悪化であり、後に旭富士は、太田雅英の「もう少しやれたのではないか、という気持ちにはならなかったですか」という問いに対して「二、三場所は休まないといけないという状態だったから。横綱が長く休んでいたら、絵にならないでしょう」と答えている<ref>『大相撲中継』2017年10月13日号 p.82.</ref>。
 
[[引退相撲]]は、1992年9月場所後に行われた。当時は横綱空位だったため、同じ大島部屋所属の幕内力士だった[[太刀持ち]]・旭道山と[[露払い]]・旭里を従えて、旭富士として最後の横綱土俵入りが披露された。[[断髪式]]では、止めバサミを大島親方が入れると、感極まって旭富士は大粒の涙を流した。