「多久茂辰」の版間の差分

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| 藩 = [[肥前国|肥前]][[佐賀藩]]
| 氏族 = [[後藤氏#利仁流後藤氏|肥前後藤氏]]→[[後多久氏]](多久鍋島家)
| 父母 = 父:[[多久茂富|後藤茂富]]、母:[[大田茂連]]娘・梅<br/>養父:''[[多久安順]]''
| 兄弟 = '''茂辰'''、伊勢菊([[神代常利]]室)
| 妻 = 正室:'''鍋島勝茂娘・鶴'''(天性院)
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== 略歴 ==
[[慶長]]13年([[1608年]])、[[後藤多久茂富|多久後藤茂富]]の子として誕生。茂富は、[[龍造寺家均]]([[後藤貴明]]の実子・晴明)と龍造寺長信の娘の子で、伯父の初代多久邑主・[[多久安順]]の養子となる。寛永5年(1628年)養父安順の勘気に触れて廃嫡された。茂富に代わって茂辰が安順の養子となる。
 
[[寛永]]12年([[1635年]])、養父・安順と同じ佐賀藩請役となる。同年、佐賀藩初代藩主・[[鍋島勝茂]]の嫡男・[[鍋島忠直|忠直]]が早世し、遺児・[[鍋島光茂|光茂]]が4歳と幼かったため、勝茂は忠直の弟で支藩の[[蓮池藩]]初代藩主であった[[鍋島直澄]]を後継にしようとした。茂辰はこれに反対し、正統な後継者である光茂に継がせるよう主張し、[[明暦]]3年([[1657年]])に光茂が2代藩主となった。