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佐賀藩士 [[山本常朝]]が[[武士道]]の指南書として著した『[[葉隠]]』の聞書 第四 五十にも藩主 [[鍋島勝茂]]が有能な藩士と評した武士として[[福地吉左衛門]]の名が見える他<ref>[[和辻哲郎]]・[[古川哲史]]校訂『葉隠(上)』([[岩波書店]]、[[1940年]])192頁、[[三島由紀夫]]著『葉隠入門』([[新潮社]]、[[1983年]])187頁、188頁参照。 </ref>、聞書 第六 一六六、聞書 第八 五七には[[福地孫之允]]なる藩士が[[中野休助]]と喧嘩になり切腹したが、[[介錯|介錯人]]であった[[小城市|小城]]の[[蒲池氏|蒲池某]]がしそんじて[[浪人]]したこと<ref>山本常朝原著,[[松永義弘]]訳『葉隠(中)』([[ニュートンプレス]]、[[1980年]])184頁参照、山本常朝原著、松永義弘訳『葉隠(後)』(ニュートンプレス、1980年)53、54頁参照。</ref>、聞書 第七 三二には「[[千住善右衛門]]、討ち果たしのこと」という事案の検分役として福地市郎兵衛の名が見える<ref>山本常朝前掲『葉隠(中)』(ニュートンプレス、1980年)221頁~227頁参照</ref>。また、聞書 第八 五七には[[家老|家老職]]の[[横岳鍋島家]]当主 [[鍋島主水]]配下に[[福地六郎右衛門]]の名が見え、同じく佐賀藩家老の[[多久長門守]]家臣を切腹の危機から救ったとある<ref>山本常朝前掲『葉隠(後)』(ニュートンプレス、1980年)73、74頁参照。</ref>。
 
末裔には俳優の[[哀川翔]]、哀川の次女で女優の[[福地桃子]]がいる<ref>http://news.livedoor.com/article/detail/12209147/</ref>
 
== 常陸国の福地氏 ==