「山岳ベース事件」の版間の差分

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一方で連合赤軍幹部の吉野雅邦は「悲劇の発端」に「『下部の離反、逃亡など、革命左派を統制できなくなった』永田洋子が、他組織の森恒夫の指導力に頼っていったこと」があるとし、「暴力的総括要求」は「共産主義化」などではなく、「内部統制のための暴力に他ならなかった」としている。その上で「永田は森と等しい役割を果たした」としながら、「組織内で脆弱な基盤しか持たなかった永田の『指導者としての不安心理』」に重きを置いて「永田個人の責任にすることはできない」としている<ref name=":吉野証言" />。
 
事件の原因については、永田の他のメンバー(特に女性メンバー)に対する嫉妬が原因だとされることもある。連合赤軍被指導部の[[植垣康博]]は、当初そのような分析を行っていたが、永田にそうではないと指摘され取り下げている。bや加藤倫教は「そういう一面を持っていた」(b)、「嫉妬のようなものがなかったとは言い切れない」(加藤)としている<ref name=":朝山" />。永田自身はD・G・Hら女性メンバーへの追について、自身が女性として男性中心の非合法活動を続けていく中で「女性としての生き方」を批判的に考えるようになっていったことが、「女性らしさ」を維持し続けようとしていたJらを批判することに繋がったとしている<ref name=":永田下" /><ref name=":永田続" />。
 
赤軍派と革命左派が両派の路線の違い(赤軍派は広義の[[トロツキズム]]、革命左派は[[毛沢東思想]])を無視して野合したことに事件の原因を求める意見もある(植垣『兵士たちの連合赤軍』など)。これに対して坂東は、両派の路線は内実をなしていなかったとしている<ref name=":坂東" />。