「連合国軍最高司令官総司令部」の版間の差分

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連合国軍最高司令官総司令部は、まず[[軍隊]]を解体し、思想、信仰、集会及び言論の自由を制限していたあらゆる法令の廃止、[[山崎巌]][[内務大臣 (日本)|内務大臣]]の罷免、[[特別高等警察]]の廃止、[[政治犯]]の即時釈放など<ref>これらは「自由の指令」とも俗称される。</ref>と、政治の[[民主化]]や[[政教分離]]などを徹底するために[[大日本帝国憲法]]の改正、[[財閥解体]]、[[農地解放]]などを指示した。<!----「敗戦国を戦勝国が完全に支配下に置き、統治を行うことは近代国家の時代に入ってからはなかったことである」とマッカーサーは述懐している。--出典不明-->
 
==影響==
===犯罪===
当時の日本政府は、占領の否定的感覚低減を目してイギリス、アメリカ、オーストラリア軍からなる連合国軍を「'''進駐軍'''(しんちゅうぐん)」と称するように報道機関に指導した<ref>[[プレスコード]]による[[ダブルスピーク]]で、連合国軍将兵の犯罪を「大男」などと報じている。</ref>。
 
[[防衛施設庁|調達庁]]の資料<ref>高山正之『サダム・フセインは偉かった』</ref>には、7年間の占領期間中、アメリカ軍兵に殺害された者が2536人、傷害を負わされた者は3012人としている。漫画家の[[手塚治虫]]も街角で殴り倒された<ref>高山正之『ジョージ・ブッシュが日本を救った』</ref>。またアメリカ軍兵に日本人女性が襲われる事件が2万件といわれ、イギリス軍兵士、オーストラリア兵士によるものも多発し、強姦の際に[[日本の警察官]]が事実上の見張り役になる場合もあった<ref>須山幸雄『二・二六青春群像』</ref>などと述べる者も一部に見られる。さらにアメリカ軍[[第8軍 (アメリカ軍)|第8軍]]は組織的に戦利品を収集・配布していた<ref>占領の傷跡―第二次大戦と横浜 有隣新書 1983年 p48</ref>
 
===文化===
進駐軍の兵士が利用する『進駐軍クラブ』により最新の英米の文化がもたらされた。日本人立ち入り禁止のクラブも多かったが、給仕や演奏者は日本人を採用する方針がとられた。当時のアメリカでは[[スウィング・ジャズ]]がヒットしており、ジャズができる出演者が採用されたことで生活基盤が出来、日本において[[ジャズ]]が浸透する下地ともなった<ref>[http://www.tontonclub.com/visit/walk/06/ 街歩きに出かけよう:Vol.6 進駐軍ジャズの跡を訪ねて - TONTON club]</ref>。出演する人間の出演料は日本側の終戦連絡事務局、1949年6月からは特別調達庁より出ていた。各軍政部が日本側に要求を出した結果、日米間で問題になり特別調達庁が演奏家の格付審査を行った。出演者には[[笠置シヅ子]]や[[ジョージ川口]]などがいた。これらの音楽文化を題材とした作品として[[この世の外へ クラブ進駐軍]]などがある。
 
クラブで提供される酒も欧米人が好む[[ビール]]や[[ウィスキー]]であったため需要が急増し、進駐軍向けの非課税酒を製造する大手メーカーは潤った<ref>[http://www.kirin.co.jp/entertainment/museum/history/kaisetsu/bk_05e.html 昭和15年〜昭和23年・戦時下および統制下におけるビール (5)戦後も続いた配給制度|酒・飲料の歴史|キリン歴史ミュージアム|キリン]</ref>。これに関連し[[笹の川酒造]]のような日本酒の酒造会社が需要を見越してウイスキー製造の免許を取得する動きもあった<ref>[http://whiskymag.jp/sasa_asaka/ 東北の新星、安積蒸溜所が誕生] - ウイスキーマガジン</ref>。食文化においても[[ステーキ]]や[[ハンバーガー]]、[[ホットドッグ]]など、イギリスやアメリカの国民食が庶民にも伝わった<ref name="協会">{{cite web|url=http://nhha.lin.gr.jp/hh/history/hamburger.html|title=ハンバーガーの歴史|publisher=一般社団法人日本ハンバーグ・ハンバーガー協会|accessdate=2017-12-04}}</ref>。
 
== 連合国軍最高司令官 ==
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主権回復した日本は、[[国際連合]]に加盟する為、[[国際連合安全保障理事会|国連安保理]]で[[拒否権#国際連合安全保障理事会における拒否権|拒否権]]を持つ[[ソビエト連邦|ソビエト]]との国交回復を[[1956年]](昭和31年)11月に実現させ、ソビエトの承認を受けて同年[[12月18日]]に[[国際連合]]に加盟、国際社会へ復帰した。その後は軍事的な対米従属の下で経済的繁栄を目指し、[[1970年代]]には主要[[先進国]]の一つとなった。同じく占領され、同時期に経済的繁栄を手にした[[西ドイツ]]の主権回復は[[1955年]]、ソビエトとの和解は[[1970年]]、国連加盟は[[1973年]]であり、東西ドイツが再統合される[[1990年]]まで講和会議は行われていなかった。([[ドイツ最終規定条約]]を参照)
 
==影響==
===犯罪===
当時の日本政府は、占領の否定的感覚低減を目してイギリス、アメリカ、オーストラリア軍からなる連合国軍を「'''進駐軍'''(しんちゅうぐん)」と称するように報道機関に指導した<ref>[[プレスコード]]による[[ダブルスピーク]]で、連合国軍将兵の犯罪を「大男」などと報じている。</ref>。
 
[[防衛施設庁|調達庁]]の資料<ref>高山正之『サダム・フセインは偉かった』</ref>には、7年間の占領期間中、アメリカ軍兵に殺害された者が2536人、傷害を負わされた者は3012人としている。漫画家の[[手塚治虫]]も街角で殴り倒された<ref>高山正之『ジョージ・ブッシュが日本を救った』</ref>。またアメリカ軍兵に日本人女性が襲われる事件が2万件といわれ、イギリス軍兵士、オーストラリア兵士によるものも多発し、強姦の際に[[日本の警察官]]が事実上の見張り役になる場合もあった<ref>須山幸雄『二・二六青春群像』</ref>などと述べる者も一部に見られる。さらにアメリカ軍[[第8軍 (アメリカ軍)|第8軍]]は組織的に戦利品を収集・配布していた<ref>占領の傷跡―第二次大戦と横浜 有隣新書 1983年 p48</ref>
 
===文化===
進駐軍の兵士が利用する『進駐軍クラブ』により最新の英米の文化がもたらされた。日本人立ち入り禁止のクラブも多かったが、給仕や演奏者は日本人を採用する方針がとられた。当時のアメリカでは[[スウィング・ジャズ]]がヒットしており、ジャズができる出演者が採用されたことで生活基盤が出来、日本において[[ジャズ]]が浸透する下地ともなった<ref>[http://www.tontonclub.com/visit/walk/06/ 街歩きに出かけよう:Vol.6 進駐軍ジャズの跡を訪ねて - TONTON club]</ref>。出演する人間の出演料は日本側の終戦連絡事務局、1949年6月からは特別調達庁より出ていた。各軍政部が日本側に要求を出した結果、日米間で問題になり特別調達庁が演奏家の格付審査を行った。出演者には[[笠置シヅ子]]や[[ジョージ川口]]などがいた。これらの音楽文化を題材とした作品として[[この世の外へ クラブ進駐軍]]などがある。
 
クラブで提供される酒も欧米人が好む[[ビール]]や[[ウィスキー]]であったため需要が急増し、進駐軍向けの非課税酒を製造する大手メーカーは潤った<ref>[http://www.kirin.co.jp/entertainment/museum/history/kaisetsu/bk_05e.html 昭和15年〜昭和23年・戦時下および統制下におけるビール (5)戦後も続いた配給制度|酒・飲料の歴史|キリン歴史ミュージアム|キリン]</ref>。これに関連し[[笹の川酒造]]のような日本酒の酒造会社が需要を見越してウイスキー製造の免許を取得する動きもあった<ref>[http://whiskymag.jp/sasa_asaka/ 東北の新星、安積蒸溜所が誕生] - ウイスキーマガジン</ref>。食文化においても[[ステーキ]]や[[ハンバーガー]]、[[ホットドッグ]]など、イギリスやアメリカの国民食が庶民にも伝わった<ref name="協会">{{cite web|url=http://nhha.lin.gr.jp/hh/history/hamburger.html|title=ハンバーガーの歴史|publisher=一般社団法人日本ハンバーグ・ハンバーガー協会|accessdate=2017-12-04}}</ref>。
 
== 年表 ==
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; [[1946年]](昭和21年)
* [[1月4日]] [[軍人]]・[[戦争犯罪人|戦犯]]・[[軍国主義者]]及び同傾向政治家などの[[公職追放]]を指示。
* 2月 イギリス連邦占領軍が本格的な日本進駐を開始。直ちに中国地方および四国地方の占領任務を、1945年9月より同地に進駐していた[[アメリカ軍]]から引き継いだ。
* [[2月3日]] マッカーサー、[[民政局]]長[[コートニー・ホイットニー]]に自作の憲法案のメモを渡し、憲法モデルを作成するよう命じる。
* [[2月13日]] ホイットニー局長、新憲法モデル文章を[[吉田茂]]らに見せる。
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; [[1950年]](昭和25年)
* [[6月6日]] マッカーサー、[[日本共産党]]中央委員24名を[[公職追放]]。
* [[6月25日]] [[朝鮮戦争]]勃発(- [[1953年]])。[[アメリカ合衆国軍|在日]]と[[イギリス連邦占領軍]]が[[大韓民国]]を支援するため出動し、日本が前線基地となる。
[[File:KoreanWarRefugeeWithBaby.jpg|thumb|200px|朝鮮戦争]]
* [[6月25日]] [[朝鮮戦争]]勃発(- [[1953年]])。[[アメリカ合衆国軍|在日占領軍]]が[[大韓民国]]を支援するため出動し、日本が前線基地となる。
* [[7月8日]] マッカーサー、[[吉田茂|吉田首相]]に警察力強化([[警察予備隊]]7万5000名の創設と[[海上保安庁]]8000名増員)を求める書簡を送る。
* [[7月24日]] GHQ/SCAP、[[日本共産党]]幹部逮捕と[[日本新聞協会]]代表に共産党員の追放を勧告([[レッドパージ]])。