「トラファルガーの海戦」の版間の差分
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|conflict=[[ナポレオン戦争]]
|date=[[1805年]][[10月21日]]
|place=[[スペイン]]
|result=[[グレートブリテン及びアイルランド連合王国|イギリス]]の勝利
|combatant1=[[File:Flag of the United Kingdom.svg|border|25px]] イギリス
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|commander1=[[File:Naval Ensign of the United Kingdom.svg|border|25px]] [[ホレーショ・ネルソン (初代ネルソン子爵)|ホレーショ・ネルソン]]{{KIA}}<br>[[File:Naval Ensign of the United Kingdom.svg|border|25px]] [[カスバート・コリングウッド]]
|commander2={{Flagicon|FRA}} [[ピエール・ヴィルヌーヴ]]<br />{{Flagicon|ESP1785}} [[フェデリコ・グラビーナ]]
|strength1=[[戦列艦]] 27
|strength2=
|casualties1=死者 449<br />戦傷 1,214
|casualties2=死者 4,480<br />戦傷 2,250<br />捕虜 7,000<br />大破・拿捕 22隻
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14時30分~、ここからはイギリス各艦の接舷攻撃と海兵隊の架橋突入によってフランス第2団および第3団の各艦が次々と制圧されていき、降服したフランス戦列艦とスペイン戦列艦はおよそ10隻を数えた。敵艦鹵獲の報せは総旗艦「英ヴィクトリー」に逐一届けられて死の間際にあったネルソンを満足させていた。
戦闘海域西方で回頭中だったフランス第1団の旗艦『仏フォルミダブル』以下4隻は、友軍への加勢を諦めてそのまま南へ航行し戦線離脱を図った。フランス第4団は旗艦『西プリンシペデアストゥリアス』を主軸にして奮戦していたが、北方の友軍の劣勢を目の当たりにして士気が低下する中で徐々に戦列が乱れ、そこにイギリス南縦隊の「英プリンス」以下2隻が更に接近して『西プリンシペデアストゥリアス』に多数の砲弾を撃ち込んだ。
=== グラヴィーナ提督の離脱(15:30~17:00) ===
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16時00分、「英ネプチューン」と数時間に渡って交戦していた第2団副旗艦『西ヌエストラセニョーラデラサンティシマトリニダード』が降服した。ここからはほぼ残存艦艇の掃討戦となり、加えて数隻のフランスないしスペイン戦列艦が鹵獲された。フランス主要艦の一つ『仏ネプチューネ』は北東方面へ逃れる事が出来た。
16時30分、総旗艦「英ヴィクトリー」の甲板上で瀕死の状態にあったネルソンが「神に感謝する。私は義務を果たした。」の言葉と共に絶息した。なお、彼の最後は17時30分であったとする説もある。
激戦の末、連合艦隊は撃沈1隻、捕獲破壊18隻、戦死4,000、捕虜7,000という被害を受け、ヴィルヌーヴ提督も捕虜となった。一方イギリス艦隊は喪失艦0、戦死400、戦傷1,200という被害で済んだが、司令官ネルソンを失った。
[[ファイル:Battle of Trafalgar Casualties.svg|中央|サムネイル|400x400ピクセル|両軍の被害]]
== 海戦後の影響 ==
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