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出典
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第4代[[オーフォード伯爵]]'''ホレス・ウォルポール'''(Horace Walpole, 4th Earl of Orford, [[1717年]][[9月24日]] - [[1797年]][[3月2日]])は、[[イギリス]]の[[政治家]]、[[貴族]]、[[小説家]]。[[ゴシック小説]]『オトラント城奇譚』で知られる。政治家で初代[[イギリスの首相|首相]][[ロバート・ウォルポール]]とキャサリン・ショーターの3男である。
 
== 経歴 ==
[[イートン校]]と[[ケンブリッジ大学]]で学び、[[1739年]]から2年間、詩人[[トマス・グレイ]]とともに[[フランス]]、[[イタリア]]遊学([[グランドツアー]])を行っている{{Sfn|『「幽霊屋敷」の文化史』|2009|p=67}}。[[庶民院 (イギリス)|下院]]議員(1741年 - 1768年)を務めた。
 
[[1791年]]、甥の第3代オーフォード伯[[ジョージ・ウォルポール (第3代オーフォード伯爵)|ジョージ・ウォルポール]]の死により襲爵、第4代オーフォード伯となったが、彼にも子がなく、6年後の1797年に69歳で死去、オーフォード伯爵家は断絶した。ただし、もう1つの称号[[ウォルポール男爵]]位は従弟の[[ホレーショ・ウォルポール (初代オーフォード伯爵)|ホレーショ・ウォルポール]]が継承、[[1806年]]に新設の形でオーフォード伯爵位も受け継ぎ存続した。
 
== 中世趣味 ==
今日、ウォルポールが知られているのは、その趣味的な生活ぶりによる。
 
別荘の[[ストロベリー・ヒル・ハウス]]を改築して(工事は[[1750年]]頃から数十年にわたった)、自分好みの中世[[ゴシック建築|ゴシック風]]に仕立てた<ref>[[五十嵐太郎]]『おかしな建築の歴史』([[エクスナレッジ]] 2013年)p.216fなども[[ウェストミンスター宮殿|イギリス国会議事堂]]や[[国会議事堂 (ハンガリー)|ハンガリー国会議事堂]]とともに「[[ゴシック・リヴァイヴァル建築]]」に分類している。</ref>が、これが大変な評判になり、毎日見学者が来るほどであった。[[1757年]]からそこに印刷所をもうけ、自作やグレイその他友人の作品を次々と印刷出版した。また、ある日見た夢をもとに中世の古城を舞台にした幻想的な小説『{{仮リンク|オトラント城奇譚|en|The Castle of Otranto}}』([[1764年]])を書き、これも評判を呼んだ。ストローベリ・ヒルと『オトラント城奇譚』はイギリスにおける[[ゴシック]]趣味の流行に決定的な影響を与えたと評されている。
 
== その他 ==
ウォルポールがあみだした造語に[[セレンディピティ]]がある。
 
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== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<references/>
{{Reflist}}
 
== 参考文献 ==
*{{Cite book|和書 |author = [[加藤耕一]] |year = 2009 |title = 「幽霊屋敷」の文化史 |publisher = [[講談社]] |series = [[講談社現代新書]] |isbn = 978-4-06-287991-0 |ref={{SfnRef|『「幽霊屋敷」の文化史』|2009}}}}
 
== 外部リンク ==