「チョコレート」の版間の差分
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こうした発明によって19世紀後半にはチョコレートは家族的な小企業や職人による生産から大企業による工場での大量生産へと移行していった。スイスの[[ネスレ]]社、リンツ社、カイエ社やイギリスの[[キャドバリー]]社、ロウントリー社、アメリカの[[ザ・ハーシー・カンパニー|ハーシー]]社などの大チョコレート企業が誕生し、安定して大量生産された規格品チョコレートの供給によりチョコレートの価格は下がり、一般市民が気軽に楽しめる菓子となっていった。一方で[[ベルギー]]やフランスなどを中心に[[ショコラティエ]]による高級チョコレート店も多数存在している。大チョコレート企業は[[1960年代]]以降買収を繰り返しながら巨大化していく一方、高級チョコレート店の職人によるチョコレートにも大きな需要があり、この二つが日常一般市民の食しているチョコレート生産のほとんどを占めている<ref>「チョコレートの世界史」p195 [[武田尚子 (社会学者)|武田尚子]] 中公新書 2010年12月20日初版</ref>。
[[日本]]
日本が本格的にチョコレートの事を知ったのは、[[幕末]]の頃である。[[1858年]]にヨーロッパへ派遣された[[文久遣欧使節]]がチョコレートの工場を見学している。他、幕府の命により[[フランス]]に留学していた[[徳川昭武]]は、慶應4(1968年)年8月3日、「朝8時、ココアを喫んだ後、[[フランス海軍|海軍]]工廠を訪ねる」と[[徳川昭武幕末滞欧日記|日記]]に記しており、これが記録に残る限り、日本人が正式に[[ココア]]を飲んだ記録である<ref name="j01_a"/>。
また、記録は残っていないが、[[1613年]]、[[慶長遣欧使節]]がヨーロッパに赴いた時期は、チョコレートを飲む習慣がヨーロッパの上流階層に広がっていた時期と重なるため、これに参加していた[[支倉常長]]たちが、初めてチョコレートを口にした[[日本人]]ではないかという説もある<ref>{{Cite web |date= |url= http://www.toiho.info/outline|title=オペラ「遠い帆」 |publisher= 慶長遣欧使節出帆四百年記念事業 |accessdate=2014-06-14}}</ref><ref>{{Cite web |date= |url= http://www.chocolate-cocoa.com/dictionary/history/japan/j01_b.html |title=幕末、海外使節団・海外留学生がチョコレートの本場へ赴く |publisher= 日本チョコレート・ココア協会 |accessdate=2014-06-14}}</ref>。
== 生産と消費 ==
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