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== 沿革 ==
=== 発足の経緯 ===
新日鉄は[[1970年]](昭和45年)[[3月31日]]に、八幡製鐵富士製鐵[[合併 (企業)|合併]](手続上は八幡製鐵が存続会社となり、富士製鐵が[[解散]])して発足した。八幡製鐵・富士製鐵のどちらも日本製鐵を前身とし、国内で1・2位の規模を持つ大手高炉メーカーであった。
 
合併実行の2年前の[[1968年]](昭和43年)[[5月1日]]、八幡製鐵・富士製鐵両社の合併が正式に発表された。両社は合併の理由を、設備の大型化への対応、需要鈍化の下での重複投資の解消、技術力強化、[[資本自由化]]や鉄鋼業の大型再編<ref>ヨーロッパ諸国では、[[西ドイツ]]のアウグスト・ティッセン・ヒュッテ(August-Thyssen-Hütte AG、[[ティッセンクルップ]]の前身)を中心とする再編(1965年〜1967年)、ブリティッシュ・スチール(British Steel Corporation、[[コーラス・グループ (企業)|コーラス・グループ]]の前身)の設立(1967年)など、大型再編が進んでいた。</ref> の中での国際競争力強化などを挙げている。この動きに対し、政府や財界はおおむね賛成した。例えば当時の[[佐藤栄作]][[内閣総理大臣]]は基本的に賛成と委員会で答弁し、政府の経済閣僚協議会も賛成した。一方、反対意見は[[野党]]の[[日本社会党]]や[[経済学者]]のグループから出た。[[労働組合]]側は、[[日本労働組合総評議会]](総評)は不支持であったが[[全日本労働総同盟]](同盟)や両社の労働組合は反対しないとの意見であった。翌[[1969年]](昭和44年)[[3月6日]]に合併契約書が調印され、同年[[6月1日]]の合併実行が決定した。