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{{See also|王 (皇族)#王氏としての王}}
王氏は諸王の集団であり、令制では[[天皇]]の孫(二世)から皇玄孫(四世)までを範囲としていた。[[慶雲]]3年([[706年]])に五世王まで拡大されるが、[[貞観 (日本)|貞観]]12年([[870年]])に諸王の数が429名に定められた。[[嵯峨天皇]]以降は臣籍降下が増え、諸王の数は減少する。推挙は第一親王(親王の中で官位の最も高い者)の役割だったが、院政期になると法親王制の確立により親王がいなくなり、[[花山天皇]]の子孫で[[神祇伯]]を世襲した[[白川伯王家]]が、[[是定]]([[氏長者|王氏長者]])として[[氏爵]]を行うようになった。
 
=== 沖縄県の王氏 ===
[[沖縄県]]では、[[琉球王国|琉球国]]時代の[[1392年]]に[[久米三十六姓]]と呼ばれる[[華僑]]集団が、当時は沿岸の島だった[[那覇市|那覇]]の[[久米 (那覇市)|久米村]]に移住し交易に携わった。琉球への定住帰化後も[[1650年]]まで数百年間、中国式の習俗を続けていたという。これらの中国系住民のうちに[[福建省]]出身の王氏があった。沖縄では中国式の姓(唐名)と日本式の名字(大和名)を一族の名乗りとし、王氏国場家といったように称する。王氏の子孫の[[門中]]には国場、小渡、新崎、上運天、仲宗根などの各家がある。
 
== 脚注 ==