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伊37潜はパラオ・コッソル水道に向かったが、11月19日に[[パラオ]]本島北方で発見された<ref name="叢書九八485伊37">[[#叢書98|戦史叢書98巻]]、485-486頁「伊37」</ref>。これは米設網艦{{仮リンク|ウィンターベリー (設網艦)|label=ウィンターベリー|en|USS Winterberry (AN-56)}}(''USS Winterberry, AN-56'')が、8時58分に浮上事故を起こした伊37潜(ポーポイズ運動を行った)を発見し、通報したものである。この報告を受けて、米護衛駆逐艦{{仮リンク|コンクリン (護衛駆逐艦)|label=コンクリン|en|USS Conklin (DE-439)}}(''USS Conklin, DE-439'')、{{仮リンク|マッコイ・レイノルズ (護衛駆逐艦)|label=マッコイ・レイノルズ|en|USS McCoy Reynolds (DE-440)}}(''USS McCoy Reynolds, DE-440'')が9時55分に現場付近へ到着し、両艦は[[ソナー]]で探索を開始。午後も捜索を続けたのち、15時4分にコンクリンが探知し、レイノルズが15時39分に[[ヘッジホッグ (兵器)|ヘッジホッグ]]で13発を発射したが効果なく失探、16時15分にコンクリンが再度探知して攻撃したところ、「小さい爆発音(命中音と思われる)らしきもの1」を探知。続くヘッジホッグ2回と艦尾からの爆雷攻撃の1回には反応がなかった。レイノルズが再度爆雷攻撃を行い(コンクリンがソナーで探査し、後続のレイノルズが爆雷で攻撃する)接近したところ、17時1分に海面にまで達する連続した水中爆発を認めた。以後は反応無く、撃沈と判定された。伊37潜の乗員と隊員は全員戦死と認定された<ref name="叢書九八485伊37" />。なお、のちにコンクリンは金剛隊を搭載した[[伊号第四十八潜水艦|伊48潜]]も撃沈している。
 
;菊水隊編成<ref>{{Harvnb|図説特攻|2003|p=131}}</ref>
:{| class="wikitable"
||'''部隊名'''||'''潜水艦名'''||'''出撃日'''||'''作戦海域'''||'''搭載回天-発進'''||'''状況'''
|-
||菊水隊||[[伊号第三十六潜水艦|伊36潜]]||1944.11.8||ウルシー北泊地||4基-1基||
|-
||菊水隊||[[伊号第三十七潜水艦|伊37潜]]||1944.11.8||パラオ・コッソル水道||4基-1基||11.19沈没
|-
||菊水隊||[[伊号第四十七潜水艦|伊47潜]]||1944.11.8||ウルシー南泊地||4基-4基||
|-
|}
 
=== 回天特別攻撃隊金剛隊 ===
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12月21日に伊56(目標地点アドミラルチー諸島ゼアドラ―港)、12月25日に伊47(フンボルト湾)、12月30日に伊36(ウルシー)と伊53(コッソル水道)と伊58(グアム島アプラ港)、翌年1月9日に伊48(ウルシー)が、それぞれ内海西部を出撃した<ref name="叢書九八396" />。伊56は警戒厳重のため攻撃機会がなく、伊47は1月12日に四基発進(判定:大型輸送船4隻轟沈)、伊53は同日三基発進(大型輸送船2隻轟沈)、伊58は四基発進(特設空母1、大型輸送船3隻轟沈)、伊36は四基発進(有力艦4隻轟沈)、伊48は未帰還<ref name="叢書九八486伊48">[[#叢書98|戦史叢書98巻]]、486頁「伊48」</ref>(油槽船1隻・巡洋艦1隻・大型輸送船2隻轟沈)となった<ref name="叢書九八396" />。
総合戦果判定は特空母1、大型輸送船9、油槽船1、巡洋艦1、有力艦6、合計18隻轟撃沈というものだったが、戦後調査によれば該当する記録はない<ref name="叢書九八396" />(戦後確認された戦果は“戦果”の項目の表の通り)。金剛隊の回天作戦は、泊地攻撃の困難さを改めて浮き彫りにした<ref name="叢書九八396" /><ref name="叢書九八422">[[#叢書98|戦史叢書98巻]]、422-424頁「回天の航行艦襲撃」</ref>
 
;金剛隊編成<ref>{{Harvnb|図説特攻|2003|p=131}}</ref>
:{| class="wikitable"
||'''部隊名'''||'''潜水艦名'''||'''出撃日'''||'''作戦海域'''||'''搭載回天-発進'''||'''状況'''
|-
||金剛隊||[[伊号第五十六潜水艦|伊56潜]]||1944.12.21||アドミラルティ泊地||4基-0基||
|-
||金剛隊||[[伊号第四十七潜水艦|伊47潜]]||1944.12.25||ホーランディア・フンボルト湾||4基-4基||
|-
||金剛隊||伊36潜||1944.12.30||ウルシー南泊地||4基-3基||
|-
||金剛隊||[[伊号第五十三潜水艦|伊53潜]]||1944.12.30||パラオ・コッソル水道||4基-4基||
|-
||金剛隊||[[伊号第五十八潜水艦|伊58潜]]||1944.12.30||グアム・アプラ港||4基-4基||
|-
||金剛隊||[[伊号第四十八潜水艦|伊48潜]]||1945.1.9||ウルシー南泊地||4基-4基||1.23沈没
|-
|}
 
===戦術の変更 ===
菊水隊の攻撃によりアメリカ軍泊地の防御が予想以上に強化されたことを知った日本軍は、黒木、仁科の進言どおりに水上航走艦を狙う作戦へと変更した。1945年2月19日には[[硫黄島]]にアメリカ軍が上陸して[[硫黄島の戦い]]が始まり、侵攻部隊を海上で叩く必要に迫られたことも戦術変更の大きな要因となった。また、潜水中の潜水艦より回天に乗艇できる技術的な改善も加えられた<ref>{{Harvnb|オネール|1988|p=257}}</ref>。しかしアメリカ海軍も、侵攻部隊の輸送船団は厳重な泊地とは異なって日本軍潜水艦の格好の目標となることを懸念して、大西洋上でドイツ軍[[Uボート]]対策で絶大な効果を上げていた護衛空母と駆逐艦で編成された{{仮リンク|ハンター・キラーグループ|en|Hunter-killer Group}}で護衛していたので、見るべき戦果もなく回天を搭載した母艦が次々と撃沈されていった<ref>{{Harvnb|オネール|1988|p=258}}</ref>。アメリカ軍は硫黄島を攻略すると、4月1日には[[沖縄本島]]に上陸し[[沖縄戦]]が開始されて、その侵攻部隊に対しても回天部隊は出撃したが、より対策を強化したアメリカ軍艦隊相手には損害を重ねるだけとなった<ref>{{Harvnb|図説特攻|2003|p=130}}</ref>。
 
金剛隊以降、硫黄島や沖縄支援のために出撃した回天部隊は下記となる<ref>{{Harvnb|図説特攻|2003|p=131}}</ref>
 
;千早隊、神武隊、多々良隊、天武隊、振武隊、轟隊編成<ref>{{Harvnb|図説特攻|2003|p=131}}</ref>
 
:{| class="wikitable"
||'''部隊名'''||'''潜水艦名'''||'''出撃日'''||'''作戦海域'''||'''搭載回天-発進'''||'''状況'''
|-
||千早隊||[[伊号第三百六十八潜水艦|伊368潜]]||1945.2.20||硫黄島海域||5基-5基||2.27沈没
|-
||千早隊||[[伊号第三百七十潜水艦|伊370潜]]||1945.2.20||硫黄島海域||5基-5基||2.26沈没
|-
||千早隊||[[伊号第四十四潜水艦|伊44潜]]||1945.2.22||硫黄島海域||4基-0基||
|-
||神武隊||[[伊号第五十八潜水艦|伊58潜]]||1945.3.1||硫黄島海域||4基-0基||作戦中止帰還
|-
||神武隊||[[伊号第三十六潜水艦|伊36潜]]||1945.3.1||硫黄島海域||4基-0基||作戦中止帰還
|-
||多々良隊||[[伊号第四十七潜水艦|伊47潜]]||1945.3.29||沖縄海域||6基-0基||
|-
||多々良隊||[[伊号第五十六潜水艦|伊56潜]]||1945.3.31||沖縄海域||6基-6基||4.5沈没
|-
||多々良隊||伊58潜||1945.3.31||沖縄海域||4基-0基||
|-
||多々良隊||伊44潜||1945.4.3||沖縄海域||4基-4基||4.18沈没
|-
||天武隊||伊47潜||1945.4.20||沖縄東方海域||6基-4基||
|-
||天武隊||伊36潜||1945.4.22||沖縄東方海域||6基-4基||
|-
||振武隊||[[伊号第三百六十七潜水艦|伊367潜]]||1945.5.5||沖縄東方海域||5基-2基||
|-
||轟隊||[[伊号第三百六十一潜水艦|伊361潜]]||1945.5.27||沖縄東方海域||5基-5基||5.30沈没
|-
||轟隊||[[伊号第三百六十三潜水艦|伊363潜]]||1945.5.28||ウルシー沖縄線上||5基-0基||
|-
||轟隊||伊36潜||1945.6.4||マリアナ東方海域||6基-3基||
|-
||轟隊||伊165潜||1945.6.15||マリアナ東方海域||2基-2基||6.27沈没
|-
|}
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[[沖縄戦]]も終わり、敗色が濃くなった1945年7月に、第6艦隊は、日本海軍の作戦可能な全潜水艦兵力を回天作戦に投入することとし、[[伊号第四十七潜水艦|伊47潜]]、[[伊号第五十三潜水艦|伊53潜]]、[[伊号第五十八潜水艦|伊58潜]]、[[伊号第三百六十三潜水艦|伊363潜]]、[[伊号第三百六十六潜水艦|伊366潜]]、[[伊号第三百六十七潜水艦|伊367潜]]の6隻を出撃させた。多聞隊という部隊名は、日本本土への侵攻に対抗するべく武神[[毘沙門天|多聞天]]から採ったものであった<ref>{{Harvnb|オネール|1988|p=265}}</ref>。
 
この多門隊は、海上において[[通商破壊]]を任務としており、伊53潜と伊58潜各艦は沖縄と[[レイテ島]]太平洋上のアメリカ軍各拠点を結ぶ補給線上でアメリカ軍船団を待ち構えていた<ref>{{Harvnb|ウォーナー|1982b|p=196}}</ref>。7月24日に伊53潜は[[戦車揚陸艦]]7隻、輸送艦1隻と護衛の護衛駆逐艦 [[アンダーヒル (護衛駆逐艦)|アンダーヒル]] 他数隻で編成された船団を発見し、勝山淳中尉が搭乗する回天1基を射出した。まもなく護衛艦隊が回天を発見し爆雷攻撃を加えたが、護衛艦もパニックに陥っており、射出された回天は1基だったのにも関わらず、何本も潜望鏡が見え、日本軍の[[特殊潜航艇]]数隻が攻撃してきたと誤認した。そのうち1つの潜水艇らしきものを発見したアンダーヒルは、衝突してその潜水艇を撃破しようと前進したが、勝山艇はアンダーヒルと衝突後に大爆発を起こして、アンダーヒルはあっという間に真っ二つになり、一瞬で10名の士官と102名の水兵が戦死した。アンダーヒルの艦体の前部はたちまち海没したが、残った後部はしばらく浮いていたため、他の艦の砲撃によって処分された。アンダーヒルの沈没は、日本軍潜水艦がフィリピン沖という外洋で積極的に作戦行動しているという衝撃的な情報であったが、なぜかこの情報がアメリカ海軍内で共有されることはなかった<ref>{{Harvnb|オネール|1988|p=266}}</ref>。
 
伊53潜は[[広島市への原子爆弾投下|広島]]と[[長崎市への原子爆弾投下|長崎]]に落とされた[[原子爆弾]](核部分)を[[テニアン島]]まで運び、1945年7月30日にレイテ島へ単独航行中であった[[重巡洋艦]][[インディアナポリス (重巡洋艦)|インディアナポリス]]を発見、[[橋本以行]]艦長は敵艦は真っすぐに向かってきたことから、発見されたものと考え(実際には発見されていなかった)、攻撃後に即潜航することが必要と考えて、回天搭乗員の出撃要求を抑えて通常魚雷6本を発射、うち2~3本が命中してこれを撃沈した<ref name="叢書九八431伊58">[[#叢書98|戦史叢書98巻]]、431頁「回天特別攻撃隊多聞隊/伊五十八潜」</ref>。
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多聞隊は戦果を挙げながら、6隻全艦が無事帰投している。アメリカ軍は多聞隊の動静を出撃前から掴んでいたが、大戦末期で自信過剰となっていたのか、情報の共有や日常の哨戒活動が徹底されておらずに終戦直前に手痛い損害を被ることとなった<ref>{{Harvnb|オネール|1988|p=266}}</ref>。日本海軍からすれば多聞隊は1隻の潜水艦を失うことなく、回天の初陣となった「菊水隊」を超える戦果を挙げて、回天作戦の有終の美を飾ることができ<ref>{{Harvnb|特攻の記録|2011|p=|loc=電子版, 位置No.431}}</ref>、アメリカ軍からも、戦争終結前の日本海軍の大きな成功と評された<ref>{{Harvnb|モリソン|2003|p=441}}</ref>。
 
;多聞隊編成<ref>{{Harvnb|図説特攻|2003|p=131}}</ref>
 
:{| class="wikitable"
||'''部隊名'''||'''潜水艦名'''||'''出撃日'''||'''作戦海域'''||'''搭載回天-発進'''||'''状況'''
|-
||多聞隊||伊53潜||1945.7.14||沖縄フィリピン線上||6基-4基||
|-
||多聞隊||伊58潜||1945.7.18||沖縄パラオ線上||6基-5基||
|-
||多聞隊||伊47潜||1945.7.19||沖縄東方海域||6基-0基||
|-
||多聞隊||伊367潜||1945.7.19||沖縄グアム線上||5基-0基||
|-
||多聞隊||伊366潜||1945.7.19||沖縄グアム線上||5基-0基||
|-
||多聞隊||伊363潜||1945.8.1||沖縄日本本土線上||5基-0基||
|-
|}
 
== 戦果 ==
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|}
 
<!--=== 搭載母艦 ===
*菊水隊(1944年11月8日出撃)<ref name="叢書九八394" />、[[伊号第三十六潜水艦|伊36潜]]、[[伊号第三十七潜水艦|伊37潜]](11月19日喪失)<ref name="叢書九八485伊37" />、[[伊号第四十七潜水艦|伊47潜]]。
*金剛隊(1944年12月1日 - 1945年1月9日出撃)<ref name="叢書九八396" />、伊36潜、伊47潜、[[伊号第四十八潜水艦|伊48潜]](1月23日喪失)<ref name="叢書九八486伊48" />、[[伊号第五十三潜水艦|伊53潜]]、[[伊号第五十六潜水艦|伊56潜]]、[[伊号第五十八潜水艦|伊58潜]]。
311 ⟶ 362行目:
*轟隊(1945年5月24日 - 6月15日出撃)<ref>[[#叢書98|戦史叢書98巻]]、430頁「回天特別攻撃隊轟隊」</ref>、伊36潜、[[伊号第百六十五潜水艦|伊165潜]](6月27日喪失)<ref>[[#叢書98|戦史叢書98巻]]、490頁「伊165」</ref>、[[伊号第三百六十一潜水艦|伊361潜]](5月30日喪失)<ref>[[#叢書98|戦史叢書98巻]]、490頁「伊361」</ref>、[[伊号第三百六十三潜水艦|伊363潜]]
*多聞隊(1945年7月14日 - 8月8日出撃)<ref>[[#叢書98|戦史叢書98巻]]、430-431頁「回天特別攻撃隊多聞隊」</ref>、伊47潜、伊53潜、伊58潜<ref name="叢書九八431伊58" />、[[伊号第三百六十六潜水艦|伊366潜]]、伊363潜、伊367潜
*神州隊、[[伊号第百五十九潜水艦|伊159潜]](1945年8月16日出撃、18日帰投)<ref>歴史群像『海龍と回天』、p. 99。</ref>重複記述なのでコメントアウト-->
 
== 各型 ==