「飛鳥寺」の版間の差分

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飛鳥大仏の近年の調査報告について加筆
塔跡出土品について加筆
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== 出土 ==
=== 塔心礎納置品 ===
『書紀』によれば推古天皇元年(593年)、飛鳥寺の塔心礎(塔の心柱の礎石)に仏舎利が埋納された。後世の仏塔では地表に心礎を据えるが、飛鳥寺の塔心礎は地下式で、大きさは東西2.6メートル、南北2.4メートルを計る。飛鳥寺の塔は建久7年(1196年)に落雷で焼失した。翌建久8年(1197年)に[[東大寺]]の僧・弁暁が記した『本元興寺塔下堀出御舎利縁起』によれば、弁暁は焼失した飛鳥寺の塔の心礎から仏舎利と荘厳具を取り出し、再び埋納したという。これらの埋納物は、昭和32年(1957年)の発掘調査で心礎周辺から出土した。出土品には、[[挂甲]](上古のよろいの一種)、馬鈴、刀子、玉類など、古墳の副葬品に共通するものが多い一方で、金銀の延板など奈良時代の寺院の鎮壇具に共通するものも含まれており、古墳時代と飛鳥時代の両方の特色をもっている。これら出土品は日本最古の仏塔の心礎に埋納された遺物として貴重なものである。なお、心礎の2メートルほど上方で出土した金銅製(銅に金メッキ)の舎利容器と、これを入れていたヒノキ材製の外箱は鎌倉時代の再埋納時に新たに作られたものであり、創建当初の舎利埋納状況は明らかではない。<ref>[https://www.nabunken.go.jp/contents/fujiwara/asuka/2-3.html 飛鳥寺塔心礎の埋納品(奈良文化財研究所サイト)]</ref><ref>[https://repository.nabunken.go.jp/dspace/bitstream/11177/1271/1/AA11581556-21-8.pdf 飛鳥資料館のみどころ(12) (奈良文化財研究所サイト)]</ref><ref>[https://asukamura.jp/youtube/asukadera.pdf 『飛鳥寺と飛鳥大仏解説書』]、明日香村・関西大学文学部考古学研究室、2013</ref>
 
塔心礎出土品を列挙すると以下のとおりである<ref>http://npokokusaibunnkazai.web.fc2.com/04.html 諫早直人「舎利荘厳具から見た飛鳥寺と王興寺」(講座資料(特に資料3)、2017年2月17日、於大阪韓国文化院)、NPO法人国際文化財研究センターサイト</ref>。これらは[[奈良文化財研究所]][[飛鳥資料館]]にて保管・展示されている<ref>[https://www.nabunken.go.jp/asuka/docs/20181011asukaroom1map.pdf 飛鳥資料館第一展示室展示品目録]</ref>。
*鉄製挂甲1領
*蛇行状鉄器1点
*青銅馬鈴1点
*刀子12点
*砥石1点
*金銅(銅に金メッキ)製品 - 耳環23点以上、歩揺146点以上、鍔付半球形金具2点、円形打出金具14点、杏葉形打出金具28点以上、鈴7点
*玉類 - ガラス小玉、ヒスイ製勾玉、瑪瑙製勾玉、ガラス製勾玉、碧玉製管玉、水晶製切子玉、銀製空玉、銀製山梔玉、赤瑪瑙製丸玉、ガラス製トンボ玉
*その他 - 金延板7点、金粒1点、銀延板5点、銀粒7点、雲母片、琥珀片、蓋石片(凝灰岩製)
*鎌倉時代の製品 - 舎利容器、灯明皿、舎利容器外箱(檜材)
 
なお、塔跡出土品の再整理の際、従来材質不明とされていたものの中に真珠の小玉14点が含まれていることが[[奈良文化財研究所]]の調査で判明し、同研究所の2017年版紀要で調査結果が公表された。これらの小玉は直径1.5から2ミリメートルの微細なものであるが、穿孔されている。蛍光X線分析で主成分がカルシウムであると判明したこと、電子顕微鏡による観察で層状の構造が確認できたことから、これらの小玉は真珠であると判断された。<ref>[https://www.sankei.com/photo/story/news/170706/sty1707060005-n1.html 「飛鳥寺の塔跡から真珠 仏教の七宝、創建時埋める」(産経新聞2017年7月6日)」]</ref><ref>[https://repository.nabunken.go.jp/dspace/handle/11177/6230 田村朋美「飛鳥寺塔心礎に埋納された真珠小玉」『奈文研ニュース』No63、p.6]</ref>
 
=== 出土瓦 ===
『書紀』によれば、崇峻元年(588年)、百済から4人の瓦博士が来日したことが知られる。これらの瓦博士、またはその指導を受けた工人の製作したものと思われる7世紀前半期の瓦が飛鳥寺の寺域から出土しているが、これらは瓦当(軒丸瓦の先端の円形部分)の文様から2系統に分類され、それぞれ「花組」「星組」と通称されている。このうち「花組」は素弁十弁軒丸瓦(花びらが10枚の蓮の花を表す)で、各弁の先端部分に小さな切り込みを入れて立体感を出している。一方、「星組」は素弁十一弁軒丸瓦で、各弁の先端部分に1個の珠点を表す。「花組」と「星組」の瓦は瓦当裏面の仕上げや、瓦当と丸瓦の接合方法にも差がみられる。「星組」が玉縁式(有段式)の丸瓦を用い、瓦当裏面は「なで調整」を行うのに対し、「花組」は丸瓦に行基瓦(無段式)を用い、瓦当裏面の仕上げにあまり意を用いていない。以上のことは、飛鳥寺創建期の瓦を製作した工人集団には2つの系統があったことを意味している。<ref>納谷守幸「軒丸瓦製作手法の変遷 - 飛鳥地域出土の7世紀前半代の資料を中心として - 」『明日香村文化財調査研究紀要』第4号、明日香村教育委員会、2004(参照:[https://asukamura.jp/chosa_hokoku/kiyo/imgs/04.pdf])</ref>
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