「ジョニー・キャッシュ」の版間の差分

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=== アウトローのイメージ ===
[[1950年代]]後期にキャリアが始まり、キャッシュは大量の飲酒および[[アンフェタミン]]や[[バルビツール酸系|バルビツレート]]の中毒になった。短期間、重度のアンフェタミン中毒の[[ウェイロン・ジェニングス]]と[[ナッシュビル]]のアパートをシェアしていた。コンサート・ツアー中、自分を覚醒させるために上記の薬物を使用していた。友人達は冗談で「神経質」、変人などと言い、多くの者が彼の[[薬物依存症|薬物中毒]]の危険信号を見逃していた。『''[[:en:The Johnny Cash Show (TV series)|The Johnny Cash Show]]'' 』の舞台裏でキャッシュは「全ての薬物を試した」と語った。
 
負の連鎖は続いていたが、キャッシュの熱い創作意欲によりヒット作を連発していた。[[1963年]]、『リング・オブ・ファイア(''[[:en:Ring of Fire (song)|Ring Of Fire]]'' )』がカントリー・チャート7週連続1位に、ポップ・チャートでトップ20以内にランクインし、[[クロスオーバー (音楽)|クロスオーバー]]でヒットした。この曲はジューン・カーターとマール・キルゴアが作曲した。この曲は元々ジューンの姉妹が演奏していたのだが、キャッシュが自分が見た夢の通りに[[マリアッチ]]・スタイルの管楽器を加えた<ref name=pc10>{{Pop Chronicles |10 |3}}</ref>。ヴィヴィアン・リベルトは彼女の著書『''I Walked the Line: My Life with Johnny'' 』で異論を唱え、経済的事情により作曲者名をキャッシュがカーターに変更したのだと語った<ref>Liberto, ''I Walked the Line: My Life with Johnny'', p. 294.</ref>。
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キャッシュはクールな[[アウトロー]]のイメージを作り上げようとしていたが、実際に実刑判決を受けたことはなかった。[[微罪]]により収監されたことは何度かあったが、一夜のみで出獄した。彼が刑事事件を起こしたケースとしては、[[1965年]]のツアー中、[[麻薬]]をメキシコ国境から持ちこもうとしてテキサス州[[エルパソ (テキサス州)|エルパソ]]で逮捕されたことがある。警察官達はキャッシュがメキシコからヘロインを[[密輸]]したのではないかと容疑をかけたが、ギター・ケースに隠したデキセドリンのカプセル688錠、エクワニル475錠が見つかったのみであった。これらは不法な麻薬ではなく処方薬であり、[[執行猶予]]を受けた。映画「ウォーク・ザ・ライン/君につづく道」劇中、キャッシュが薬物に手を出したきっかけとなるシーンではミュージシャン仲間のどんちゃん騒ぎの中でカール・パーキンスが薬物を服用した状態のプレスリーの様子をジョニーに見せ「スカッとするぜ」とあおっている。このトラブルが元で妻・ヴィヴィアンとも離婚。娘達も妻側に引き取られる。
 
[[1965年]][[5月11日]]、[[ミシシッピ州]]スタークヴィルで深夜に私有地に不法侵入して花を摘もうとして逮捕された。刑務所で収録されたライヴ・アルバム『''At San Quentin'' 』によると、これを基に『''Starkville City Jail'' 』を作曲した。
 
1960年代半ば、キャッシュのナレーションを入れた『''[[:en:Sings the Ballads of the True West|Sings the Ballads of the True West]]'' 』(1965年)、ネイティヴ・アメリカンに焦点を当てた『''[[:en:Bitter Tears: Ballads of the American Indian|Bitter Tears]]'' 』(1964年)など多くの[[コンセプト・アルバム]]を発表した。薬物中毒の状態はこの時が最悪で、彼の破壊的な行動により最初の妻と離婚することになり、コンサートも中止になった。
 
[[1967年]]、ジューン・カーターとのデュエット『''[[:en:Jackson (song)|Jackson]]'' 』が[[グラミー賞]]を受賞した。
 
1967年、[[ジョージア州]][[ウォーカー郡 (ジョージア州)|ウォーカー郡]]で処方薬入りのバッグを所持し、交通事故を起こして逮捕された。保安官を買収しようとしたが、保安官は金を払いのけてキャッシュはジョージア州ラファイエットの刑務所で一夜を過ごすことになった。キャッシュの危険な行動、将来性を無駄にしていることを心配したラルフ・ジョーンズ保安官に長時間説教されてから釈放された。この経験で人生を考え直したキャッシュは後にラファイエットを再訪してチャリティ・コンサートを開き、人口9千人に満たない町に12,000人が来場し高等学校への寄付75,000ドルが集まった<ref>{{Citation | page = 5A | place = LaFayette, [[:en:Georgia (U.S. state)|GA]], | url = http://news.google.com/newspapers?id=KtkvAAAAIBAJ&sjid=sjEDAAAAIBAJ&pg=3615,6191621 | newspaper = Rome News Tribune | date = August 14, 1970 | publisher = Google News | title = 12 000 at LaFayette show}}</ref>。1997年のインタビューで「しばらく薬物を飲んでいたが、いつの間にか薬物が自分を飲み込んでいた」と語った<ref>Gross, Terry (2004). A man's voice. ''All I did was ask: Conversations with writers, actors,musicians, and artists'' (p. 34). New York, NY: Hyperion.</ref>。
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薬物を完全に断ち切るまで数年間かかり、重い禁断症状により[[ニッカジャック洞窟]]で自殺を企てた。洞窟の奥深くに入っていき、気絶し床に伏せた時、ただ死ぬのだと考えた。疲れ果て、限界がきた時、神の存在を心に感じ、かすかな光とそよ風が彼を洞窟から外に導いた。彼にとってこれが再生の時であり、カーター家のジューン、メイベル、エズラがキャッシュの邸宅に引っ越してきて1ヶ月かけて薬物の克服の手伝いをした。[[1968年]]2月22日、オンタリオ州ロンドンにあるロンドン・ガーデンズでのコンサートで,演奏中にジューン・カーターにプロポーズした<ref>http://theboot.com/johnny-cash-proposes-june-carter/</ref>。後世に語られる伝説のプロポーズとなった。翌週3月1日、2人はケンタッキー州フランクリンで結婚した。ジューンはキャッシュが全てを精算した上で結婚に同意した<ref>{{cite book |last=Zwonitzer |first=Mark |title=Will You Miss Me When I'm Gone: The Carter Family and Their Legacy in American Music |publisher=Simon & Schuster |year= 2002 |isbn= 0-684-85763-4}}</ref>。キャッシュは信仰心を再認識し、ナッシュビル近郊にある小さな教会の''Evangel Temple'' でカントリー界の巨匠[[ハンク・スノウ]]の息子''Reverend Jimmie Rodgers Snow'' が司り''Altar call'' を受けた。
 
長年の友人であるマーシャル・グラントによると、[[1968年]]のキャッシュの再生で完全に薬物をやめられた訳ではなかった。しかし[[1970年]]、7年間の薬物使用を完全にやめた。息子ジョン・カーター・キャッシュの誕生が、キャッシュに薬物を完全にやめさせたのだ。[[1977年]]、再度アンフェタミンに手を出してしまった。[[1983年]]までにまた薬物中毒になり、リハビリのためカリフォルニア州ランチョ・ミラージュにあるベティ・フォード・クリニックに入院した。何年間かは薬物から遠ざかっていたが、[[1989年]]までにまた依存症になり、ナッシュビルのカンバーランド・ハイツに入院した。[[1992年]]、最後のリハビリのためカリフォルニア州ロマ・リンダにあるロマ・リンダ行動医療センターに入院した。数ヵ月後、息子もこの施設に入院した<ref name = Grant>{{cite book | last = Grant | first = Marshall | title = I Was There When It Happened&nbsp;– My Life With Johnny Cash | publisher = Cumberland House | year = 2005 | isbn= 1-58182-510-2}}</ref><ref name = "John Carter Cash">{{cite book | last =Cash |first= John Carter | title= Anchored In Love |publisher= Thomas Nelson | year = 2007 | isbn= 0-8499-0187-1}}</ref><ref>{{Citation | title = Cash In Treatment | newspaper = Orlando Sentinel | date =November 26, 1989}}</ref>。
 
=== フォーサム・プリズン・ブルース ===