「コプト正教会」の版間の差分
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伝承では[[1世紀]]([[42年]]頃)に[[マルコ (福音記者)|マルコ]]がエジプト([[アレクサンドリア]])に立てた教会([[アレクサンドリア教会]])である。[[451年]]の[[カルケドン公会議]]の後、カルケドン派(現在のキリスト教多数派)から分かれた。
現在、エジプト・[[エチオピア]]及び[[エリトリア]]・[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[オーストラリア]]を中心に、総計5千万人のコプト系[[キリスト教徒]]がいる。エジプトにおけるコプト正教会信者の割合は、統計上5%であるが、実数は1割であるともいわれる。[[
エジプトは憲法で[[信教の自由]]を保障しており、基本的には[[ムスリム]]とコプトの間で差別はないことになっている。エジプトの[[大ムフティー]](高位のイスラム法学者、指導者)であった[[アリー・ゴマア]]は、「イスラム教徒は自由に改宗することができる」とする[[ファトワー|ファトワ]](宗教令)を2007年に出している。これを根拠としてイスラームからコプトへ[[改宗]]する者がわずかながらも出てきている。しかし、少数派という現実と、ファトワがあるとはいえイスラームからコプトへの改宗は不可能ともいえるほど難しく<ref>[http://www.afpbb.com/article/life-culture/religion/2515496/3316304 改宗は長くつらい道のり、エジプトのあるキリスト教徒の苦闘]([[AFPBB News]]、2008年09月13日 22:11)</ref>、事実上コプトからムスリムへの改宗のみが容認されていることから、[[ズィンミー]]制度の残滓に基づく差別ではないかと国内のコプト教徒を中心に批判を浴びている。[[イスラーム教徒による宗教的迫害]]も参照。
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