「ヴィクトル・スタルヒン」の版間の差分

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=== 高校時代 ===
[[File:Young20starffin.jpg|200px|right|thumb|旧制中学時代のスタルヒン]]
旧制旭川中学校(現[[北海道旭川東高等学校]])に入学し、剛速球投手として鳴らした。ただ、[[全国高等学校野球選手権大会|全国中等学校優勝野球大会]]の[[全国高等学校野球選手権北北海道大会|北海道大会]]では2年連続([[1933年]]、[[1934年]])で決勝に進むもんだが、味方のエラー等により惜敗しており、夏の甲子園にはあと一歩届かなかった。
 
旧制中学1年時、父親が自らの経営していた[[喫茶店]]「バイカル」の従業員に対する[[殺人]]事件を起こし、懲役8年の有罪判決で服役中に獄死した。「殺人者の息子」となってしまったスタルヒンではあったものの、既に旭川中学校の投手として有名だったスタルヒン本人には同情が集まった<ref>これは現在も[[外交史料館]]に残されている当時の取り調べ記録に、「母トトモニ一般ヨリ同情ヲ受ケ居レリ」と記載されている。</ref>。
 
しかしながら、スタルヒンはこの事件の為に経済的に追い込まれ、旧制中学の授業料や生活費すら同級生らによる[[カンパ]]に頼るほど生活に困窮するようになっており<ref name=nhk>NHK「[[こだわり人物伝]]」</ref>、また日本国籍を取得できない遠因の一つになっていた。当初は[[早稲田大学]]に進学することを希望していたものの、この事件の影響で経済的に困窮したこともあり、事実上大学への進学はかなり難しい状況になっていた。
 
=== 全日本選抜 ===