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'''エドマンド・バーク'''({{lang-en-short|Edmund Burke}}、[[1729年]][[1月12日]] - [[1797年]][[7月9日]])は、[[アイルランド王国|アイルランド]]生まれの[[イギリス]]の[[政治思想|政治思想家]]、[[哲学者]]、[[政治家]]。「[[保守]]思想の父」として知られる。[[ダブリン]]で富裕な[[アイルランド国教会]]信徒の家庭に生まれ、[[1765年]]から[[1794年]]までイギリス[[庶民院 (イギリス)|庶民院]](下院)議員を務めた。
 
[[トーリー党 (イギリス)|トーリー党]](後の[[保守党 (イギリス)|保守党]])に対する[[ホイッグ党 (イギリス)|ホイッグ党]](後の[[自由党 (イギリス)|自由党]])の幹部を務めたため、バークを保守主義者ではなく[[古典的自由主義|古典的自由主義者]]に分類する説もある。アメリカ独立革命運動を支持した一方、その後のフランス革命には反対した。反フランス革命の立場をとったので、彼はホイッグ党の保守派派閥の中で率先者となった。彼はこれを「旧ホイッグ」と呼び、チャーリー・ジェームズ率いるフランス革命支持派の「新ホイッグ」に反対した。
 
主著は[[1790年]]の『[[フランス革命の省察]]』(原題:''Reflections on the Revolution in France'')であり、この本はロマン主義および保守主義の[[バイブル]]とされる{{refnest|name="ニッポニカ"}}。[[フランス革命]]を全否定して、[[ジャコバン派]]の完全追放のため、革命フランスを軍事力で制圧する対仏戦争を主導した。また文壇に出るきっかけとなった論文の『崇高と美の観念の起源』は、英国で最初に[[美学]]を体系化したものとして有名である。ここでは「崇高美」というひとつの美意識が定義されている。
 
政治家としては、[[絶対王政]]を批判し、[[議会政治]]を擁護した。議会における特定の選挙区の有権者の利害を代表しない国民一般代表」の理念を提唱したり、近代政治{{refnest|name="ニッポニカ"|[[政党半澤孝麿]]の定義づけをおこない近代[[政治哲学https://kotobank.jp/word/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%AF(Edmund%20Burke)-1580318 「バーク」 - 日本大百科全書(ニッポニカ)]]を確立した、小学館。}}。文章家・演説家でもある。
 
== 哲学 ==
フランスにおいては、初のバーク主義者は[[アレクシ・ド・トクヴィル|トクヴィル]]であり、その主著『アメリカのデモクラシー』(1835年 - 1840年)の主概念「多数者の専制」は、バークの概念を借用しているし、「平等」が国家と社会を解体していき、反転して全体主義体制に至るとのトクヴィルのモチーフは『フランス革命の省察』そのものである。
 
バーク哲学が事実上まったく導入運用されなかったのは、ドイツとロシアである。
 
== 著作 ==
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