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海ボチャン (会話 | 投稿記録)
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* 1962年(昭和37年)7月25日 - 国鉄吉塚駅構内に模擬爆弾が落下<ref name=":10" />。
* 1963年(昭和38年)1月18日 - 離陸直後のF100がコースをはずれ、空港ターミナル前のエプロンに墜落、爆発。負傷1名。事務所等に被害<ref name=":10" />。
* 1963年(昭和38年)5月12日 - 在日米空軍が[[F-105 (戦闘機)|F-105]]を配備。沖縄から14機到着<ref name=":3" /><ref name=":6" />。この頃、常駐米軍機数が最大となる<ref name=":3" />。昭和20年から38年までに、板付基地およびその周辺で発生した米軍機による墜落及び炎上事故 30件、不時着 10件、ヘリコプター無人機墜落不時着 3件、模擬爆弾落下 11件、補助タンク落下 11件、機関銃弾及びロケット弾誤射落下 6件、死亡 19名、負傷 14名などおびただしい数の事故が発生<ref>「板付基地問題宣言・決議集」、板付基地移転推進協議会、1965、福岡防衛施設局 資料による。</ref>。
 
福岡防衛施設局 資料による。</ref>。
* 1963年(昭和38年)- 福岡地区管制所の開始を機に全日本人管制官が現場から撤退<ref name=":0" />。
* 1963年(昭和38年)12月31日 - 米第5空軍司令官により空軍の再編成が発表される。板付基地は予備基地となり、常駐機の多くが横田に移駐する計画を発表する。F-105D 3個中隊 50機、F-100戦闘機 20機、合計70機の引き揚げを翌昭和39年春から実施し、夏までに終わる予定<ref name=":3" />。
* 1963年(昭和38年)- 昭和38年度の1ヶ月平均の定期便発着回数は国内線が763、国際線(沖縄を含む)は37便<ref name=":3" />。
* 1963年(昭和38年)- 設置時期不明だが 1963年時点で ILS が設置されていた<ref>以下の書物に予算要求の記述がある。ITAZUKE AIR BASE The next Pacific Air Force installation to be considered is Itazuke Air Base which is located 700 miles southwest of Tokyo Japan. The planned use of this base is for the air defense of southern Japan a tactical fighter wing of three squadrons fighter interceptor squadron and air rescue squadron. (中略) The second item is for an addition of 1,558 square feet of space to the existing radar approach control rapcon center to house added equipment and personnel. When completed a total of 3,119 square feet of structure will be provided for a teleautographic receiver UHF DF control wind indicator and monitor control unit for the ILS system at this base. とあり、「既存の RAPCON (Radar Approach Control) Center の敷地・建物の拡張を要求。実現時には (既存の) ILS 設備のモニター制御に供される」旨の内容が記載されている。このことから1963年当時には既に板付基地には ILS が設置・運用されていたものと考えられる。日本国内では1961年に羽田、1966年に名古屋に設置されているが、板付基地も比較的早い時期から整備されていたことが分かる
 
Military Construction Authorization, Fiscal Year 1964:Hearings Before the Committee on Armed Services, House of Respresentatives, Eighty-Eighth Congress, First Session, Pursuant to H.R. 4825 and H.R. 6500, Bills to Authorize Certain Construction at Military Installations, and for Other Purposes. March 26, 27, 28, April 1, 2, 3, 4, 5, 30, May 1, 2, 3, 6, 7, 8, 9, 13, 14, 15, 17, 20, 21, 22, and 24, 1963 (1963, Hardback)
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* [[1965年]](昭和40年)- 東京線にジェット旅客機就航<ref>{{Cite journal|author=八田達夫|month=10|year=2014|title=北九州空港が変える福岡市と北九州市の将来|url=http://id.nii.ac.jp/1270/00000063/|journal=AGI Working Paper Series|volume=2014-13|page=|pages=1-23|accessdate=2017-04-29|NAID=120005673969}}</ref>。
* 1965年(昭和40年)3月 - 日本国内航空が乗り入れる<ref name=":3" />。3月1日、日本国内航空はCV880M「銀座」号による東京-札幌、東京-福岡線ジェット便を開始<ref name=":15" />。
* 1965年(昭和40年)8月3日 - 沖縄基地から[[C-130 (航空機)|C130]]など35機が台風避難のため一斉に飛来<ref name=":10" />。8月6日、福岡市議会は「B52、C130その他米軍用機の板付基地の一方的使用に反対する決議案」を議決した<ref name=":10" />。尚、B52の飛来は事前予告されたが実際には飛来しなかったが、35機は台風避難を理由に、事前協議なしに飛来した<ref name=":10" />。
* 1965年(昭和40年)8月5日 -&nbsp;政府は日米合同委員会で米代表からキャセイ・パシフィック航空、大韓航空両社の板付飛行場使用の同意をうけ、17日の閣議で正式に決定された。これまでの日本航空の沖縄便に加えて、国際路線が拡充されることになった<ref name=":3" />。
* 1965年(昭和40年)9月1日 -&nbsp;大韓航空の一番機が乗り入れ<ref name=":3" />。
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* 1966年(昭和41年)3月 - 日本航空、全日空、日本国内航空、東亜航空、長崎航空、西日本空輸、キャセイパシフィック航空、大韓航空で概ね36便/日程度が運行された<ref name=":3" />。
* 1966年(昭和41年)3月5日 - 福岡空港事務所福岡管制所 (1966年5月20日の運輸省設置法により福岡航空交通管制部となる)が、福岡市和白町奈多へ移転。それまで板付飛行場西側にあった米軍ラプコン内に同居し、米軍が行っていた北九州および中国地方の一部エンルート業務が昭和36年9月から委任されていた<ref name=":9" />。
* 1967年(昭和42年)この頃、航法援助施設として ILS、レーダー進入施設 (ASR)、無線着陸誘導施設 (GCA)、無線着陸誘導施設 (DF、方向探知機)、無指向性無線標識 (NDB、ホーマービーコン)が設置されていた<ref name=":6" />。また、鉄道施設として国鉄鹿児島本線竹下駅から分岐した鉄道側線が2400mにわたり引き込まれ、燃料・弾薬などの物資搬入に用いられた<ref name=":6" />。1948年 (昭和23年) 4月の段階で建設中であることが確認できる<ref>国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス、[http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do?specificationId=209337 整理番号 USA コース番号 R236-No2 写真番号33]</ref> 昭和20年代半ばには稼働していたものと思われる。半道橋2丁目南側にある第三号東光寺緑地から学校法人沖学園に至る湾曲した道路はそのなごり経緯からある。空港には地下鉄よりも先に鉄道が敷設されていた歴史がある。
* 1967年(昭和42年)9月2日 - 日本航空、国際線の福岡 - [[釜山広域市|釜山]]線を運航開始。日本航空国際線の最短路線となった。当初はDC-6Bを使用し、1969年4月1日以降は日本国内航空からウェット・チャーターしたYS-11A使用し、大阪-福岡-釜山線とした。その後、DC-8 等が用いられた。<ref name="jal6170">{{Cite web|url=https://www.jal.com/ja/history/history/age_61-70.html|title=JAL's History|accessdate=2017-04-29|publisher=日本航空|JAL's History}}</ref><ref>{{Cite book|author=月刊エアライン|title=JAL釜山就航50年|date=2017年11月|year=2017|accessdate=|publisher=イカロス出版|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=}}</ref>。
* 1967年(昭和42年)10月 - 運輸省の地方支分部局として大阪航空局が設置され、その下部機関として福岡空港事務所となる<ref name=":1" />。
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かつては、[[フジドリームエアラインズ]](FDA)搭乗手続きカウンター(FDA就航前は日本航空のカウンター。FDA就航時に日本航空カウンターを縮小する形で運用終了時点の配置に至る)と喫茶店の間に地下に下りる階段があり、地階にトイレが設けられていたが、2000年のターミナル改装時に、到着ロビー端にトイレが新設されたため、封鎖された。
もともと保安検査がまだ一般的でない1960年代にできた建物であるため、保安検査場への入口が2ヶ所(左右に計2つ入口があるが、閑散期などは右側のみしか開放しないこともあった)しかなく、時期によって混雑することがある。また、各搭乗口が搭乗待合室から少し離れているため、搭乗するときにはまず改札口を通過し、搭乗便の搭乗口が書かれた札(改札口上部の案内表示でも搭乗口番号を表示)を受け取り、搭乗口で係員が札を回収するシステムを取っていた。
)しかなく、時期によって混雑することがある。また、各搭乗口が搭乗待合室から少し離れているため、搭乗するときにはまず改札口を通過し、搭乗便の搭乗口が書かれた札(改札口上部の案内表示でも搭乗口番号を表示)を受け取り、搭乗口で係員が札を回収するシステムを取っていた。
 
前述のとおり、他のターミナルとは接続されていないため、第2ターミナル発着便と乗り継ぎを行う場合はターミナルを出て歩道を経由して移動する必要があった。
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* 構造 : 地下1階、地上5階
* 面積 : 60,000平方メートル
第1ターミナル閉鎖までは、主に東京・大阪・名古屋・那覇・札幌の主要都市へ向かう路線用として供用。[[ボーイング777]]などの大型機が駐機可能である。第1ターミナル閉鎖後は、従来第1ターミナルから発着していた便も集約され、第1ターミナルのみで運用していたFDA・AMXなどの航空会社カウンターも移転された。
 
第1ターミナル閉鎖までは、主に東京・大阪・名古屋・那覇・札幌の主要都市へ向かう路線用として供用。[[ボーイング777]]などの大型機が駐機可能である。第1ターミナル閉鎖後は、従来第1ターミナルから発着していた便も集約され、第1ターミナルのみで運用していたFDA・AMXなどの航空会社カウンターも移転された。なお、第1ターミナル閉鎖に合わせ、第2ターミナルの一部も新ターミナルエリアとなるため解体され、新ターミナル完成後は新旧のターミナルビルが混在したエリアとなる。
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ファイル:Fukuoka Airport - Terminal 2 - 01.JPG|第2ターミナル<br/>外観
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* 構造 : 地上3階(一部4階)
* 面積 : 30,000平方メートル
国内線到着専用ターミナルビルとして使用されていたが、2016年10月5日より2階に出発保安検査場が開設された。2階に日本航空と全日空のラウンジが設置されている。また、出入り口の前に駐車場を隔てて巨大な広告看板が並んでいる(この広告看板の多くは発光でき、看板裏に巨大な蓄電池装置が設置されている)。
 
国内線到着専用ターミナルビルとして使用されていたが、2016年10月5日より2階に出発保安検査場が開設された。2階に日本航空と全日空のラウンジが設置されている。また、出入り口の前に駐車場を隔てて巨大な広告看板が並んでいる(この広告看板の多くは発光でき、看板裏に巨大な蓄電池装置が設置されている)。
 
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* 構造 : 地上4階
* 面積 : 69,000平方メートル
 
滑走路の西側に位置する。国内線ターミナルとはシャトルバスで結ばれている。
 
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* 医療機関 - 内科・胃腸科、歯科および薬局がある。
* ビアガーデン(夏季のみ) - 旧第2ターミナルの展望デッキを利用し、夏季の夜にはビアガーデンが開催されていたが、国内線ターミナルビル改修工事に伴い2016年9月16日の営業終了後、国内線ターミナルビル改修工事完了する迄の間休業
 
なお、福岡空港内にあった[[郵便局]]は、約500m離れた博多大井郵便局(福岡空港内郵便局留め郵便物の引き渡しのみ[[博多北郵便局]])が業務を承継した事により、[[2016年]][[3月4日]]で廃止された。
 
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| 福岡TCA管制区
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== 就航路線 ==
 
== 就航路線 ==
※ [[航空連合]]は右記のとおり。SA : [[スターアライアンス]]、OW : [[ワンワールド]]、ST : [[スカイチーム]]
 
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|新潟、[[松本空港|松本]]、[[静岡空港|静岡]]、[[名古屋飛行場|名古屋/小牧]]
|[[アイベックスエアラインズ|IBEXエアラインズ]](IBX)<ref name="codeshareANA"/>
|仙台、小松、大阪/伊丹、新潟、名古屋/中部<ref name="IBEX-centrair">[https://flyteam.jp/airline_route/ngo_fuk/news/article/98843 アイベックスエア、仙台/新千歳線を増便 路線再開と減便も決定]FlyTeam 2018年8月21日付</ref>
|[[オリエンタルエアブリッジ]](ORC)<ref name="codeshareANA"/>
|福江、宮崎、小松<ref name="ORC-komatsu">[https://flyteam.jp/airline_route/fuk_kmq/news/article/98837 オリエンタルエアブリッジ、10月下旬から福岡/小松線に新規開設]FlyTeam 2018年8月21日付</ref>
|福江、宮崎、小松
|[[天草エアライン]](AHX)<ref name="codeshareJAL"/>
|[[天草飛行場|天草]]