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== 神話に登場する日食観測の歴史 ==
[[File:Antoine Caron Astronomers Studying an Eclipse.jpg|thumb|200px|『日食について研究する天文学者たち』({{仮リンク|アントワーヌ・カロン|en|Antoine Caron}}画、[[1571年]])]]
日食や月食は古代から凶事として恐れられていた。特に太陽はすべての生命の根源であり、世界全体明るく照らす最も重要な天体である事は古くから認識されていたので、その太陽が変形、時には全く見えなくなる日食ことは重大な天変として人々に関心を持たれて来た。そのため、[[彗星]]と共に凶兆として人々に恐れられた。
 
近代天文学が確立する以前、多くの文明で日食や月食を説明する[[神話]]が長い間語り継がれてきた。これらの神話の多くでは、日月食は複数の神秘的な力の間の対立や争いによって起こるとされた。例えば[[ヒンドゥー教]]の神話では食が起こる月の昇交点が[[ラーフ]](Rahu)、降交点が[[ケートゥ]](Ketu)という2人の魔神として[[擬人観|擬人化]]されこの二神の働きによって食が起こると考えられた。この二神が象徴する二交点は後に古代中国で「[[羅睺星]]」「計斗星の名で[[七曜]]に付け加えられ、[[九曜]]の一員を成している<ref>ラーフは[[仏教]]の[[釈迦]]の息子の名・ラーフラ(''Rāhula''。漢訳、[[羅睺羅]]、らごら)にも用いられたことで知られる。ただし、ラーフラについては別の説もある。古代のインド語では「ラーフ」はナーガ(竜)の頭、「ケートゥ」は尻尾をも意味した。そしてシャカの一族のトーテムは、他ならぬナーガであった。このことからラーフラとは古代インドの言い回しで「竜の頭」を意味したと考えられ、「ナーガの頭になる者」が生まれたことを歓喜した釈迦が名づけたという説である。根拠は古来インドでは一族の跡継ぎがなければ出家することはできず出家を願っていた釈迦には息子の誕生はまたとない吉報であること、また釈迦の父・浄飯王もこの命名を喜んでいることである。</ref>。
 
また北京天文台には日食神話を描いた石の彫刻があり、以下のような説明が添えられている。
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ここで金烏とは金色(太陽)の中にいるという三本足の[[カラス|烏]]([[八咫烏]]を参照のこと)であり、ヒキガエルは月の[[クレーター]]の形に由来するものである。この解説文からは、当時の文化において天文現象としての事実の認識と現象に対する愉快な見立てとが両立していたことが窺える。
 
[[ヴァイキング]]たちの伝承を記した『[[スノッリのエッダ]]』では[[スコル]]と呼ばれる狼が太陽を常に追いかけており、狼が太陽に追いつくと日食になるという記述がある。そして、世界の終わりの日に狼はついに太陽を完全に飲み込んでしまうという。
<!--他の文化圏では日月食は驚くべき、かつ恐ろしい現象とする場合も多かった。[[クリストファー・コロンブス]]が西インド諸島に航海した際、服従の意思を示さない原住民を罰するために日食を起こしてみせて(実際は日食の起こる日を知っていただけ)、パニックになった原住民が彼に服従したというエピソードは有名であるが、文献上の証拠は怪しい。--><!--コロンブスが原住民を服従させたのは日食ではなく、1504年2月29日の皆既月食です。-->
 
<!--現在のところ過去の特定の日食現象には同定されていない。--><!--←文意が不明であるので、勝手ながらコメントアウトいたします。-->日本においては、計算上は[[邪馬台国]]の時期に日本列島で日食が2回起きた可能性がある。代、[[卑弥呼]]が死んだとされる[[247年]]と[[248年]]に日本列島日食が起きた可能性が推測されている。[[国立天文台]]の谷川清隆・相馬充ら「特定された日食は『[[日本書紀]]』[[推古天皇]]36年[[3月2日 (旧暦)|3月2日]]([[628年]][[4月10日]])が最古であり、それより以前は途中の文献がないため[[地球]]の[[自転]]速度低下により特定できない」としている<ref>[http://th.nao.ac.jp/~tanikawa/eclps/moment.pdf 中国・日本の古代日食から推測される地球慣性能率の変動]</ref>。
 
== 日食の一覧 ==