「ローマ帝国」の版間の差分

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K.Frankie (会話 | 投稿記録)
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== 名称 ==
 
「ローマ帝国」は「ローマの命令権が及ぶ範囲」を意味する[[ラテン語]]の “{{lang|la|Imperium Romanum}}” の訳語である。[[インペリウム]] ({{lang|la|imperium}}) は元々はローマの「命令権(統治権)」という意味であったが、転じてその支配権の及ぶ範囲のことをも指すようになった<ref>[[#吉村2003|吉村2003]], pp53-58</ref>。{{lang|la|Imperium Romanum}} の語は[[共和政ローマ|共和政]]時代から用いられており、その意味において[[共和政]]時代からの[[古代ローマ]]を指す名称である。[[日本語]]の「[[帝国]]」には「[[皇帝]]の支配する国」という印象が強いために、しばしば[[帝政]]以降のみを示す言葉として用いられているが、西洋における「帝国」は皇帝の存在を前提とした言葉ではなく統治の形態にのみ着目した言葉であり<ref name="y55">[[#吉村2003|吉村2003]], pp55-56</ref>、「多民族・多人種・多宗教を内包しつつも大きな領域を統治する国家」という意味の言葉である。むしろ、西洋において皇帝は帝国から生み出された副産物に過ぎず、まず前提として帝国の存在を必要とし、その帝国を統治するがゆえに皇帝と呼ばれうるのであって、その逆ではないとするのが西洋における帝国と皇帝の関係である<ref name="y55"/><ref>[[#樺山1998|樺山1998]], pp10-11</ref>。そのため、まるでローマが「皇帝の国」であるかのような誤解を与える恐れのあるローマ「帝国」やローマ「皇帝」といった和訳には議論がある<ref>[[#吉村2003|吉村2003]], p58</ref>。ちなみに、現代の日本では帝政ローマにおいてインペリウムを所持した[[インペラトル]]が皇帝と訳されているが、インペリウムは共和政ローマにおいても[[コンスル]]と[[プロコンスル]]、および[[プラエトル]]と[[プロプラエトル]]に与えられていた。また、ローマが帝政に移行した後も、元首政([[プリンキパトゥス]])期においては名目上は帝国は共和制であった。
 
中世における「ローマ帝国」である、[[東ローマ帝国]]や[[ドイツ]]の[[神聖ローマ帝国]]と区別するために、[[西ローマ帝国]]における西方正帝の消滅までを'''古代ローマ帝国'''と呼ぶことも多い。