「大阪スタヂアム」の版間の差分

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** この「○○電車ではよ帰れ」コールはほかの在阪パ・リーグ球団のファン・応援団でも同様に行われており、「阪急電車ではよ帰れ」「南海電車ではよ帰れ」というコールも起こっていたほか、オリックスの本拠地が神戸に置かれていた時代は「[[山陽電気鉄道|山陽電車]]ではよ帰れ」というコールも上がっていたことがある。
 
*試合中の表裏のチェンジのインターバルの間は場内に[[運動会]]さながらの[[行進曲]](マーチ)が流れ([https[://en.wikipedia.org/wiki/:Edwin_Eugene_Bagley |エドウィン・バグリー]]作曲「国民の象徴」など)、古き良き風習はラストイヤーまで続いた。ちなみに試合終了後のファンファーレは「[[軽騎兵]]序曲」([[フランツ・フォン・スッペ]]作曲。これは[[広島市民球場 (初代)|初代広島市民球場]]での試合開始を告げるファンファーレとしても有名)だった。
* 解体直前には[[朝日放送テレビ|朝日放送]](ABC)のバラエティ番組『[[探偵!ナイトスクープ]]』に「大阪球場のスタンドの椅子が欲しい」という依頼があり、グラウンド内で依頼者と南海として最後の監督だった杉浦忠とで椅子を懸けて[[野球盤]]対決をした。
* 球場外壁に設置されていた「大阪球場」の看板(ネオンサイン)は解体後、ホークスファンが個人で所有している。[[2008年]]にソフトバンクが南海時代のユニホームを着て行なった際、京セラドーム大阪のスコアボード下にこの看板が特別に設置された<ref>[http://www.asahi.com/kansai/sports/news/OSK200808030189.html 京セラドームに「大阪球場」が復活] - asahi.com、2008年8月3日配信、[[2010年]]6月20日閲覧</ref>。