「ジョージ・アームストロング・カスター」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
→‎グラント大統領との対立: 地名の間違い(×フィラデルフィア州)。出典テンプレート(cite book)追加。脚注を1点翻訳して、注釈に。
タグ: 2017年版ソースエディター
93行目:
===グラント大統領との対立===
[[image:Custer2.jpg|thumb|200px|left|1876年、7人の騎兵隊員とその家族とともに、ピクニックに興じるカスター]]
スー族との戦いは1876年4月6日にエイブラハム・リンカーン要塞から大軍を率いて敢行される予定だったが、その直前にカスターは同じ北軍出身の[[ユリシーズ・グラント|グラント]]大統領の汚職問題について証言する為に召還を受けた。4月4日に民主党支持者としてカスターが法廷で証言を行った後、汚職に関与していた国務大臣ベルナップが警察に逮捕される事態に陥った。証言を終えたカスターは前線に戻る前に、ペンシルベニア州フィラデルフィアを旅行して、帰りにニューヨークへと立ち寄ったが、そこでグラント派の共和党支持者からの攻撃を受けた。共和党はグラントに不利な発言をしたカスターを中傷する[[ネガティブキャンペーン]]を展開、またグラント大統領自身もカスターの現場復帰を要請するシャーマン将軍の[[アルフォンソ・タフト]]陸軍大臣への手紙を握り潰した。
 
圧力の事実を知ったカスターはシャーマン将軍からワシントンを離れる前にグラント大統領と会見する事を勧められた。カスターはグラント大統領に弁解の場を設けてくれる様に頼んだが拒否され、やむなくシカゴへと向かった。シカゴで要塞司令官のテリー准将と会見したカスターはグラント大統領からの政治的圧力について話し、テリー准将はグラントにカスターの恩赦を求める報告書を送った<ref>{{cite book|last=Utley,|first= Robert Marshall (|year=2001).|title= Custer: Cavalier in Buckskin.: George Armstrong Custer and the western military frontier|series=Oklahoma western biographies| volume= 1|publisher= University of Oklahoma Press.|isbn=9780806133874|ncid=BA27454760 |lccn= 88005426|oclc= 46732461}}</ref>。シャーマンやシェリダンも軍事的要素からの判断をグラントに要請し、グラントもカスターがインディアン戦争や南北戦争で功績を挙げていた事実を無視できず彼の現場復帰を許した。
 
[[1874年]]の[[ブラックヒルズ]]到達までの間、白人とインディアン諸族(スー族、シャイアン族も含む)との戦いは激化の一途を辿っていた。アメリカ政府はインディアンとの平和協定を結んでは破りながら、徐々に西方へと進出を続けていった。政府はインディアン戦争の最終的な決着とブラックヒルズの占領を望んで、より広い範囲でインディアンを攻撃する事を決断した。グラント大統領は[[1876年]][[1月31日]]までに[[インディアン居留地|指定保留地]]へ移住しない場合、[[アラパホ|アラパホー族]]と[[スー族]]を殲滅すると宣言した<ref>1868 Fort Laramie {{efn|{{仮リンク|第二次ララミー砦条約|en|Treaty. The Cheyenne were not part of thisFort treatyLaramie and(1868)}}。 had no designated agency. The reservation was for the Sioux and Arapaho.</ref>シャイアン族はこの条約に参加せず法定代理人も付かなかった。居留地はスー族とアラパホー族に占有された。}}。期日が過ぎた[[1876年]][[5月17日]]、グラント大統領はスー族との和平条約を破棄して、[[第7騎兵 (アメリカ軍)|第7騎兵隊]]をエイブラハム・リンカーン要塞から先発隊として出撃させた。カスターも、色あせつつあった「少年将官」としての名声を、スー族に快勝することで一気に回復しようと望んでいた<ref>{{cite book|title=The Indians|first= Benjamin |last=Capps『Indians|others= (Time-Life Books|publisher=Time-Life Books|location= New York|year=1973)』|series= Old West (Alexandria, Virginia|ncid=BA13427908|isbn= 0809414546|lccn= 72093991|oclc=1016493860}}</ref>。白人との全面戦争を前に[[シッティング・ブル]]らは各部族と会合を開いて対策を話し合う事としたが、これは過去最大のインディアン戦士を一箇所に集める事にもなった<ref>{{sfn|Marshall |2007, |p. =15.}}</ref>。
 
===リトルビッグホーンでの戦死===