「澤登正朗」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
46行目:
同級生には、元[[プロ野球選手]]の[[鈴木平]]がいた。静岡県の強豪校の一つでもあった東海大学第一高校サッカー部に入部して間もなく、当時の身長は160センチほどと小柄ながら、澤登のキックに多彩な種類があることに監督が目を止め、[[武南中学校・高等学校|武南高校]]との春季定期戦に[[ミッドフィールダー|MF]]として出場。ボールを受けたら、ミスが少ない。左右にボールを散らし、展開力もあった。その試合で[[司令塔 (スポーツ)|ゲームメーカー]]としての力を発揮し、5月に来日した[[三渡洲アデミール|アデミール・サントス]]と共に1年次から活躍を見せた。
[[1986年]]、過去4度にわたって決勝で敗れ、前年(1年次)はPK戦で涙をのんだ、全国で勝つより難しいと言われていた<ref>『国立ファイナル全国高校サッカー選手権大会 1976年度以降、国立競技場で行なわれた全38の「高校選手権・決勝」を振り返る!』42頁</ref>[[全国高等学校サッカー選手権大会静岡県大会|静岡県予選]]で東海大一高の初優勝に貢献し、[[第65回全国高等学校サッカー選手権大会|第65回選手権大会]]に出場。2年生ながら高いテクニックと戦術眼を持ち、広い視野でゲームメイクを行い、4-4-2の[[サッカーのフォーメーション|布陣]]の中盤の底でレギュラーを務めた。チームメイトには、後にプロでもチームメイトになる[[内藤直樹]]、[[吉田康弘 (サッカー選手)|吉田康弘]]や、[[ドーハの悲劇]]を共に経験することになる[[大嶽直人]]、静岡県予選で得点王に輝いた[[平沢政輝]]や、[[1968年メキシコシティーオリンピック|メキシコ五輪]]で銅メダルに輝いた[[杉山隆一]]の息子の[[杉山淳一]]、選手権で生まれて初めて[[雪]]を見たというブラジル人留学生の[[三渡洲アデミール|アデミール・サントス]]<ref>『王国が紡ぐ「黄金の歴史」静岡の高校サッカー』 51頁</ref>らと共に初の全国大会に臨んだ。[[徳島県立徳島商業高等学校|徳島商業]]や[[秋田市立秋田商業高等学校|秋田商業]]など全国の強豪を相手に
[[1987年]]は[[キャプテン (サッカー)|主将]]を務め、中原幸司、[[吉村寿洋]]、熊埜御堂智、[[篠永博之]]、[[吉田康弘 (サッカー選手)|吉田康弘]]、[[平沢政輝]]、濁沢一仁らと共に、冬の選手権に臨んだ。[[全国高等学校サッカー選手権大会静岡県大会|選手権予選静岡県大会]]の決勝では、[[国民体育大会サッカー競技|国体]]代表7人を擁する[[静岡市立清水商業高等学校|清水商業]]を敗り優勝。大会MVP、ベストイレブンに選ばれ2年連続全国大会進出を果たした。[[第66回全国高等学校サッカー選手権大会|第66回選手権大会]]では、準々決勝で[[礒貝洋光]]、[[森山泰行]]、[[本田泰人]]らを擁した[[帝京中学校・高等学校|帝京高校]]にPK戦の末に勝利。準決勝は[[全国高等学校総合体育大会サッカー競技大会|インターハイ]]を制した[[船橋市立船橋高等学校|市立船橋高校]]を敗り決勝に進出。2年連続同一カードとなった決勝は、後に[[オリンピックのサッカー競技・日本代表選手#バルセロナオリンピック予選(1992年)出場メンバー|五輪代表]]や[[清水エスパルス|清水]]でチームメイトになる[[永井秀樹]]がいた[[長崎県立国見高等学校|国見高校]]に敗れ準優勝に終わった。また、3年時は[[サッカー日本代表#年代別日本代表|ユース日本代表]]に初選出。静岡県選抜にも選ばれ[[第42回国民体育大会]]では、2年ぶり13回目(選抜チームとしては10回目)の[[国民体育大会サッカー競技#歴代結果|優勝]]に貢献した。
|