「小村壽太郎」の版間の差分

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[[1908年]](明治41年)[[第2次桂内閣]]で再び外務大臣に就任<!-- ×再任(意味が異なります)-->すると、[[幕末]]以来の[[不平等条約]]を撤廃するための[[条約改正]]の交渉を行い、[[1911年]](明治44年)に日米通商航海条約を調印して[[関税自主権]]の回復を果たした。[[日露協約]]の締結や[[韓国併合]]にも関わり、一貫して日本の大陸政策を進めた。韓国併合の功により侯爵に陞爵。
 
[[File:The Grave of Komura Jutaro.jpg|250px|thumb|小村寿太郎の墓]]
同年の桂内閣総辞職に伴い政界を引退したが、同年11月26日、[[結核]]療養のために滞在していた葉山町の別荘で死去、満56歳だった。墓所は[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]]の[[青山霊園]]にある。