「文明開化」の版間の差分

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開国以来、日本を訪れた外国人によって日本の習俗は好奇な視点で報じられていた。西欧化を目指す明治新政府は新しい日本を誤解されないために、日本土着の習俗や信仰を「悪弊」「旧習」と呼び、民衆の「迷蒙」を啓くための政策を取った{{sfn|奥|1993|pp=6-43}}。新政府の方針に従い自治体主導で従来の生活文化や民俗風習の排除が行われ、文明開化政策の影響で縮小や途絶した民俗風習も多い。例えば、明治5年の[[太陽暦]]の導入によって、[[七夕]]や[[初盆]]など[[太陰太陽暦]]・[[農事暦]]によって定められていた「遊び日」は改良された。また、[[廃仏毀釈]]とともに、明治6年の[[教部省]]の通達によって[[山伏]]などの[[加持祈祷]]や[[シャーマニズム]]は公には認められなくなった。明治5年に[[東京府]]が布達した違式註違条例では、屋外で裸体になることや、故の無い女性の断髪は軽罪とされるなど、風俗を一様にするための事細かい規定が設けられ、開化政策の影響は生活の隅々に及んだ{{sfn|奥|1993|pp=6-43}}。
 
{{要出典範囲|なお、急速な西洋化の一端には、西洋列強国が当時盛んに[[植民地]]経営で、莫大な富を[[アジア]]諸国から吸い上げていたことに対する危機感も見出される。この中では、上に挙げた富国強兵の一環で西洋[[軍事技術]]の導入も盛んに行われ、軍隊では兵隊の腕力や体力を強化する目的で、提供される[[食事]](軍隊食)までもが西洋化された。ただ、当時発足したばかりの[[日本軍]]は地方農村部などの次男・三男を集めた集団であり、[[飯|米飯]]や[[日本食]]で育った彼らの中には、あまりに異質な西洋の料理に対して拒否感を示す者も見られた。このため海軍などでは米飯と[[カレー_(代表的なトピック)|カレー]]を組み合わせる・[[肉じゃが]]のように[[醤油]]味の折衷料理を開発するなど工夫を凝らした。[[カレーライス]]は後に[[海軍カレー|横須賀海軍カレー]]として、また肉じゃがのような料理も軍港周辺部へと広がっていき、時代を下って昭和時代にもなると、一般的な家庭の味として広く受け入れられている|date=2018年12月}}
 
== 文明開化に関する事象 ==