「楊勇」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 |
||
9行目:
ときに朝廷では楊勇が罪なくして廃されたという声もあったが、文帝は聞き入れなかった。楊勇もしばしば文帝に面会を求めたが、楊素が楊勇はすでに心神喪失して癲鬼が憑いており回復不能であると言って、文帝と楊勇の面会を阻止した。
[[604年]]、文帝が仁寿宮で病の床に就いたとき、皇太子楊広が文帝の側室の[[宣華夫人陳氏|宣華夫人]]に手を出そうとしたことがあった。宣華夫人がこのことを文帝に訴え、文帝は楊勇の冤罪だったことを知り、独孤皇后と楊広のことを大いに罵り、人を派遣して楊勇を召しだそうとした。だがそのことを察知した楊素が楊広に伝えると、間もなく文帝は死去した。楊広は即位した後、文帝の遺詔と称して楊勇を自殺させ、
== 妻子 ==
|