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=== 1996-2004 急転落と慢性化する経営危機 ===
エグイサバル会長は事前から約束していた通り、昇格という結果を残して退任した。だが最後に地元リオハの企業家集団にクラブを無責任に売却するという形で、跡を濁すことになった。何故なら、この後の4年間でログロニェスはプリメーラから一気にテルセーラまで一直線に転落の道をたどったからである。[[リーガ・エスパニョーラ1996-1997|1996-97シーズン]]はログロニェスの歴史上、プリメーラで過ごした最後の1年間だった。最
債務超過と給与遅配に愛想をつかした選手たちが続々とクラブを後にした結果、ログロニェスは1999-2000シーズンのテルセーラ開幕まで残り1か月で、ゼロから選手をかき集めなければならないという緊急事態に陥った。だがシーズンが始まるとチームは好調で、昇格プレーオフでは[[:es:Centro_Deportivo_Bezana|CDベサナ]]、[[:es:Sestao_River_Club|セスタオ・リーベル・クルブ]]、
続く2003-04シーズンは15位に沈み、さらに[[2004年]]7月31日、選手たちの給料遅配問題への処分から強制的にテルセーラ降格が決まってしまった。
=== 2004-2009 ついに活動停止へ ===
2004-05シーズンは更に過酷なものとなった。ログロニェスはテルセーラで昇格プレーオフに進出することさえ出来なかった。だが2005-06シーズンはプレーオフへ駒を進め、[[:es:Unión_Montañesa_Escobedo|ウニオン・モンタニェサ・エスコベド]]を破り、そしてC.D.ウニヴェルシダ・デ・サラゴサを[[エスタディオ・ラ・ロサレーダ|ラ・ロサレーダ]]で退けてセグンダBへ昇格した。この時のお祭り騒ぎはまるでプリメーラに昇格したかのような大きなものだった。興奮を抑えられない約2,000人近い地元民は、[[サラゴサ]]から帰ってきた選手たちを大量のファンと共にムリエタ橋の上でもみくちゃにして喜んだ。
2006-07、2007-08シーズンをセグンダBで過ごしたログロニェスだったが、[[2008年]]の8月にはまたしても財政問題で絶望の淵に突き落とされる。総額409,467[[ユーロ]]にのぼる、選手達の契約コストに伴う負債問題で強制降格が検討された。セグンダB残留を訴えるログロニェス側に対し、スペインサッカー連盟は8月5日までに現金で支払うように命じたが、経営陣はこれを拒否。ログロニェスはテルセーラ降格処分を受け入れるしかなかった。▼
2008年8月27日、クラブの[[管財人]]はラ・リオハ州サッカー連盟と共に3つの銀行から約200万ユーロを調達し、負債と利息を返済。ログロニェスが再びテルセーラ加盟クラブとして登録できるよう努めた。11月5日、ハヴィエル・サンチェスがクラブを買収し、かつて彼の雇主であったフアン・オルテラーノ氏に与えた。だが[[2009年]]1月18日、ログロニェスの選手たちはこの新オーナーも給料支払いを怠っていることに抗議して、この日に予定されていた試合を[[ボイコット]]した。この事件によりログロニェスはシーズン途中でテルセーラ・ディビシオンから除名され、5部相当(ラ・リオハ州においては最下層)の[[ディビシオネス・レヒオナレス|レヒオナル・プレフェレンテ]]へ強制降格処分となった。同年8月7日、ラ・リオハ州連盟は負債と未払い給与問題の解決の目途が立たないことを理由に、CDログロニェスの登録を抹消した。以降クラブ再建の動きは無い。▼
▲2006-07、2007-08シーズンをセグンダBで過ごしたログロニェスだったが、[[2008年]]の8月にはまたしても財政問題で絶望の淵に突き落とされる。総額409,467[[ユーロ]]にのぼる、選手達の契約コストに伴う負債問題で強制降格が検討された。セグンダB残留を訴えるログロニェス側に対し、[[スペインサッカー連盟]]は8月5日までに現金で支払うように命じたが、経営陣はこれを拒否。ログロニェスはテルセーラ降格処分を受け入れるしかなかった。
▲2008年8月27日、クラブの[[管財人]]はラ・リオハ州サッカー連盟と共に3つの銀行から約
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== タイトル ==
=== 国内タイトル ===
'''テルセーラ・ディビシオン : 6回'''
* '''1943-44, 1958-59, 1965-66, 1969-70, 1977-78, 2000-01'''
=== 国際タイトル ===
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