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* [[1920年]](大正9年)4月1日:豊多摩郡内藤新宿町の全域が東京市に編入され、以降四谷区域の一部となる。
* [[1924年]](大正13年)[[2月1日]]:豊多摩郡落合村が町制施行。'''落合町'''発足。
* [[1932年]]([[昭和]]7年)[[10月1日]]:豊多摩郡淀橋町・大久保町・戸塚町・落合町が東京市に編入。4町の町域をもって東京市'''淀橋区'''発足(この日、東京市には周辺82町村が編入され、淀橋区など20区が新たに発足。東京市域が大幅に拡大したため、以降「大東京市」などと表現されることもある
* [[1943年]](昭和18年)[[7月1日]]:[[東京都制]]施行により、東京府と東京市は廃止され東京都が発足。以降、四谷区・牛込区・淀橋区は東京都の行政区となる。
* [[1946年]](昭和21年):東京都区域整理委員会(東京都の諮問機関)設置。四谷区・牛込区・淀橋区をはじめとする東京都35区の数を減らすことを目的とした区域再編問題が議論される。最終的には、以下のうち22区移行案を答申。
** 12区移行案 - 四谷区・牛込区・小石川区(現在の[[文京区]]の西側)・淀橋区・[[豊島区]]の5区をひとつにする案
** 22区移行案(25区移行案の修正) - 四谷区・牛込区・淀橋区の3区をひとつにする案(現行の23区とほぼ同じ。[[練馬区]]はのちに[[板橋区]]から分離するため、この段階での区数は22。)22)
** 25区移行案 - 四谷区・牛込区・淀橋区の3区をひとつにする案(のちの新宿区域に関しては22区移行案と同じ。違いは、赤坂区と[[渋谷区]]の合併、練馬区や玉川区の新設、[[足立区]]や[[江戸川区]]の区域変更などが盛り込まれていた
* [[1947年]](昭和22年)
** [[3月15日]]:東京都制第141条により四谷区・牛込区・淀橋区を合併し、3区の区域をもって東京都'''新宿区'''発足(東京都の[[政令指定都市#行政区|行政区]]として発足区長は東京都長官が任命(3月15日 - 4月12日元成純夫、4月13日 - 5月2日岡田昇三。元成はその後[[1955年]](昭和30年)まで新宿区初代助役として岡田を支える)。[[新宿区役所]]は旧牛込区役所(箪笥町、現牛込箪笥区民センター)に置かれる。
** [[5月3日]]:[[地方自治法]]施行により、新宿区は[[特別区]]となる。公選により岡田昇三が[[区長]]に就任(岡田の区長在任期間は5期20年。[[1952年]](昭和27年)の地方自治法改正により、3期目以降は公選ではなく、区議会が[[東京都知事]]の同意を得て選任。なお、岡田は[[1945年]](昭和20年)淀橋区長に任命された経験がある
* [[1949年]](昭和24年)[[3月15日]]:[[区歌]]「大新宿区の歌」制定。
* [[1950年]](昭和25年)[[1月1日]]:区役所を[[歌舞伎町]]に移転(1度目の移転
* [[1965年]](昭和40年)[[3月31日]]:[[淀橋浄水場]](角筈三丁目、現座の西新宿二丁目)廃止。浄水場機能は[[東村山浄水場]]([[東村山市]])に移転。以後、跡地は新宿副都心地区として整備計画が本格化する。
* [[1966年]](昭和41年)[[11月21日]]:区役所新庁舎(現本庁舎、歌舞伎町一丁目)完成し、旧庁舎から移転。業務開始(2度目の移転、現在に至る
* [[1967年]](昭和42年)
** [[3月15日]]:区の紋章を制定。
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** 後任の区長には助役の伊藤俊行が内定しており、都知事の同意も得ていた。ところが、伊藤が二重に[[住民票|住民登録]]をしていることが区議会で問題視されたため区長就任には至らなかった。その後も新たな候補者の選任が難航し、ほぼ1年間にわたり区長が不在となる。
** [[12月17日]]:[[副市町村長|助役]](伊藤俊行)と収入役が任期満了を迎える。区長が不在のため新たな助役・収入役の任命を行うことができず、翌年の山本区長就任まで空席となる。この助役空席期間における区長職務は、新宿区役所総務部長の内田義雄が代理執行。
* [[1968年]](昭和43年)[[10月4日]]:新宿区教育委員長の山本克忠が区長に就任(山本の区長在任期間は6期23年。[[1975年]](昭和50年)の地方自治法改正により、3期目以降は公選による。[[1991年]](平成3年)の区長選挙に立候補するも僅差で落選、引退
* [[1972年]](昭和47年)[[9月19日]]:区の花を「[[ツツジ|つつじ]]」に、区の木を「[[ケヤキ|けやき]]」に制定。
* [[1975年]](昭和50年)[[4月1日]]:[[新宿中央公園]]が東京都から新宿区に移管される。
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* [[1977年]](昭和52年):区役所分庁舎が歌舞伎町(現歌舞伎町一丁目・現第一分庁舎建設地)に完成、業務開始。
* [[1986年]](昭和61年):平和都市宣言。
* [[1989年]]([[平成]]元年)[[9月18日]]:区役所第二分庁舎(歌舞伎町一丁目・現本庁舎から30メートル北に位置する建物を賃借)完成、業務開始(すでに第一分庁舎の建設計画が決まっていたため、第二分庁舎と名付けられたこれに伴い、分庁舎は改築工事のため閉鎖。
* [[1991年]](平成3年)
** [[4月1日]]:[[東京都庁舎|東京都庁]]第一本庁舎・第二本庁舎・都議会議事堂(西新宿二丁目)が完成し、旧都庁舎([[千代田区]][[丸の内]]三丁目・現[[東京国際フォーラム]]建設地)から移転完了、業務開始。
** [[4月27日]]:[[東京都議会]]議員の経歴をもつ小野田隆が区長に就任(小野田の区長在任期間は3期11年。[[2002年]](平成14年)に自身の[[住民税]]滞納問題が発覚し任期途中に辞職)。
** 旧分庁舎跡地に区役所第一分庁舎(歌舞伎町一丁目・現第一分庁舎)完成、業務開始。
* [[1994年]](平成6年):環境都市宣言。
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* [[2000年]](平成12年):[[防衛省|防衛庁]]本庁庁舎が港区[[赤坂 (東京都港区)|赤坂]]九丁目(防衛庁[[檜町駐屯地|檜町地区]]。いわゆる六本木庁舎。現在は[[東京ミッドタウン]])から新宿区市谷本村町([[防衛省市ヶ谷地区|防衛庁市ヶ谷地区]])に移転完了。
* [[2002年]](平成14年)
** [[10月9日]]:小野田区長が辞職(後任区長の就任までの期間、新宿区助役の高橋和雄が区長職務を代理
** [[11月24日]]:東京都幹部職員の経歴をもつ[[中山弘子]]が区長に就任(女性区長の誕生は東京23区初)。
* [[2003年]](平成15年)
** [[4月7日]]:区の「未来特使」に「[[鉄腕アトム]]」を任命。
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=== 区名由来 ===
[[新宿]]とは、もともとは[[豊多摩郡]][[内藤新宿町]]のことである。[[1920年]](大正9年)、東京市四谷区に合併編入された際に新宿一 - 三丁目(現在の新宿一 - 三丁目全体の区画とほぼ同じ)となり、[[新宿駅]]の発展とともに世界有数の繁華街・商業地区へと変貌を遂げた。その名前の由来は、[[1698年]]に[[甲州街道]]の新たな宿場町として、信州[[高遠藩]]内藤若狭守の下屋敷に「内藤新宿(四谷内藤新宿とも)」が開かれたことによる。四谷区・牛込区・淀橋区が合併する際、
* 「内藤新宿」は古い文献にも出てくるため歴史を感じさせる
* [[新宿御苑]](四谷区)や新宿駅(淀橋区)などの言葉が全国的に有名である
* 区内のほかの地名より「普遍的である」
との理由で新区名に採用された。