「嘉門タツオ」の版間の差分

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*[[1978年]] - 『[[MBSヤングタウン]]』(以下ヤンタン)にレギュラー出演する。
*[[1980年]] - 笑福亭鶴光から[[破門#芸能界|破門]]を宣告され、松竹芸能から専属契約を解除されて担当番組も全て降板する。「自らを見つめ直す」として日本放浪へ旅立ち、[[与論島]]やスキー場でアルバイトをしながら[[コミックソング]]の面白さを認識する。
*[[1981年]] - 日本を放浪の後に「次は海外へ放浪しようか」と考えていた頃にスキー場で作った曲が[[アミューズ]]の[[大里洋吉]]会長に評価され、アミューズの契約社員として[[サザンオールスターズ]]の「[[チャコの海岸物語]]」を関西地区の[[有線ラジオ放送|有線ラジオ]]などへ営業する。この縁でサザンのコンサートの打ち上げなどにも参加し、バンドでフロントマンを務める[[桑田佳祐]]と親しくなる。[[所ジョージ]]の芸名は[[宇崎竜童]]が命名したことを聞き、桑田に自らの芸名を考えて欲しいと依頼すると、当初は桑田が“カメリア・ダイヤモンド”を挙げるが嘉門が却下し、桑田が別の活動時に使用していた“[[嘉門雄三 & VICTOR WHEELS LIVE!|嘉門雄三]]”の苗字を譲り受け、“'''嘉門 達夫'''”を名乗る<ref>[http://thepage.jp/detail/20130818-00010000-wordleaf{{Cite web|title=<私の恩人>嘉門達夫 名付け親は桑田佳祐さん 「サザン」の曲も好きに使っていいと許された] |url=http://thepage.jp/detail/20130818-00010000-wordleaf |publisher=[[THE PAGE]] |date=2013年8月18日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130829031854/http://thepage.jp/detail/20130818-00010000-wordleaf |archiveservice=Internet Archive |archivedate=2013-8-29 |deadlinkdate=2018-12-25 }}</ref>。のちにヤンタンへ復帰する。
*[[1982年]] - 10月 「[[寿限無]]No.1!」([[森雪之丞]]プロデュース)を[[日本コロムビア|コロムビアレコード]]から発売し、歌手デビューする。
*[[1983年]] - シンガーソングライターデビューし、「ヤンキーの兄ちゃんのうた」をリリース。当初は自主制作盤であったが、少しずつ話題を獲得し7月にコロムビアレコードより発売され、[[USEN|大阪有線]]が主催する[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]有線放送大賞と[[キャンシステム]]が主催する[[TBSテレビ|TBS]]有線大賞で新人賞を受賞する。