「東洲斎写楽」の版間の差分

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Berlin1888 (会話 | 投稿記録)
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一般には写楽の評価に関して、[[ドイツ]]の美術研究家{{仮リンク|ユリウス・クルト|de|Julius Kurth}}がその著書『''Sharaku''』のなかで、写楽のことを[[レンブラント・ファン・レイン|レンブラント]]や[[ディエゴ・ベラスケス|ベラスケス]]と並ぶ「世界三大肖像画家」と称賛し、これがきっかけで[[大正]]頃から[[日本]]でもその評価が高まった、との説明が流布している。
 
しかし、『''Sharaku''』の1910年刊行初版、1922年刊行改訂増補版、及び1994年刊行の日本語訳版『写楽 SHARAKU』のいずれにおいても、クルトによる序文並びに本文に「世界三大肖像画家」「レンブラント」「ベラスケス」に関する記述は見られない。{{Refnest|group=注|『写楽 SHARAKU』以前の日本語訳としては[[中川四明]](四明老人)による抄訳「寫楽の雲母繪」(『京都美術』芸艸堂、1914年27号~29号)、『浮世絵芸術』誌に掲載された[[井上和雄 (浮世絵研究者) |井上和雄]](雨石)の研究ノート<ref>[[飯島利種]][http://unno.nichibun.ac.jp/geijyutsu/ukiyoe-geijyutsu/lime/059_013.html 「井上和雄氏の資料「雨石ノート」より 写楽〈クルト〉1」] [[日本浮世絵協会]]編『浮世絵芸術』1979年5月第59号、[http://unno.nichibun.ac.jp/geijyutsu/ukiyoe-geijyutsu/lime/061_007.html 「井上和雄氏の資料「雨石ノート」より 写楽〈クルト〉2」] 同誌1979年11月第61号。</ref>があるが、「世界三大肖像画家」「レンブラント」「ベラスケス」に関する言及はない。ユリウス・クルトの写楽研究を最初に日本に紹介したとされるのは1914年発表の[[永井荷風]]の論文「浮世絵と江戸演劇」<ref>『江戸芸術論』([[岩波文庫]],2000年)等に収録</ref>だが、これにも「世界三大肖像画家」「レンブラント」「ベラスケス」に関する言及はない。 }}日本語訳版『写楽 SHARAKU』においては[[楢崎宗重]]の推薦文(帯)並びに翻訳者[[定村忠士]]による解題に「世界三大肖像画家」への言及はある<ref>{{Harvnb|ユリウス・クルト著 定村忠士・蒲生順二郎訳|1994|p=257}}</ref>が、これは一般論として述べたものであり、クルト自身の文章を引用したものではない。
 
[[岸文和]]は2002年論文で次のように指摘している。<ref>岸文和[https://doors.doshisha.ac.jp/duar/repository/ir/8936/ 「西洋近代が見た日本近世――クルトの『SHARAKU』に潜む《暴力》について――」] [[同志社大学]]人文科学研究所編集『社会科学』2002年1月68号, p.37。同論文は岸文和著『絵画行為論――浮世絵のプラグマティクス』(醍醐書房,2008)に「寛政六年の笑い――【穴を穿つ】役者絵」と改題の上、再録されている。[[菅原真弓]]は[http://www.lib.kobe-u.ac.jp/infolib/meta_pub/G0000003kernel_E0041492 「浮世絵研究の功罪 : 近代における浮世絵受容とその波紋」]([[神戸大学]]美術史研究会編集『美術史論集』2018年2月18号, p.42)で、ベラスケスやレンブラントに並ぶ三大肖像画家の一人という賞賛がクルトの『SHARAKU』に記されていないことを指摘した上で、クルトの写楽論と日本の写楽研究の≪ズレ≫についての興味深い論考として岸文和論文を紹介している。</ref>
 
{{quotation|いったい何時、誰によって、この文言がクルトに帰せられるトポスになったかについては、現時点で、不明である。しかし、この文言がクルトのテクスト――初版/増補版とも――に見当たらないことは確実なのである。}}