「大塩平八郎の乱」の版間の差分

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海蜇 (会話 | 投稿記録)
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大塩は養子・格之助と共におよそ40日余り、大坂近郊各所に潜伏した。せめて先に江戸に送った建議書が幕府に届くことを期待したのである。だが建議書は江戸に届いたものの、大坂町奉行所が発した差し戻し命令のため発送先に届けられず、大坂へと差し戻しの途中、[[箱根関|箱根の関]]で発見され、押収されてしまう。
 
失意のまま大坂に舞い戻った大塩は、以前から大塩家に出入りしていた商人美吉屋五郎兵衛の店(現[[西区 (大阪市)|西区]]靱油掛町付近)に押しかけ匿われたが、当家の女中が帰郷中にした折「五郎兵衛夫妻が神棚へのお供えと説明していた二2名分の食事を用意する全て食べられた状態で下げられるのは不思議だ」漏らしたのを聞きとがめた村役人が不審に思い領主である大阪城代土井利位の[[陣屋]]に通報して露見した。3月27日早朝、土井とその家老[[鷹見泉石]]らの率いる探索方に潜伏先を包囲された末、火薬を使って火を放ち自決した。遺体は顔の判別も不可能な状態であったと伝わる。大塩と格之進の死体は牢獄が焼失していたため高原溜に送られて塩漬けにされた。
 
逃亡した他の決起参加者もことごとく捕縛されるか自決し、高原溜に護送された。勾留環境は過酷を極め、処分決定時まで生きていた決起首謀者は、門弟で同心であった竹上万太郎だけであった。死亡した決起参加者の遺体は塩漬けにされ保存された。