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1980年代、日本球界で中4日もしくは5日の[[先発ローテーション]]が一般化していた中、郭は[[村田兆治]]とともに中6日ローテーションの先駆的な存在である。
 
当時の主力投手としては珍しく200イニング以上投げた年がなく、故障の多さから「[[イタイイタイ病]]」と揶揄されるほどであった<ref name="base_19880905_23" /><ref>[http://baseball.professional-view.com/blog/2016/03/23/post-3835/]</ref>。肩やヒジの負担を抑えるため中6日、短くてしくは5日での先発を基本とし<ref name="base_19900205_37" />、登板翌日は軽く汗を流し2日目もランニング程度、3日目はキャッチボールで4、5日目に80%程度の力で60-70球を投げ、6日目は汗を流す程度で翌日の登板に備える、という調整を行なっていた<ref name="base_19880704_23" />。
 
== 台湾人選手として ==