「小杉武久」の版間の差分

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[[東京]]生まれ、[[東京藝術大学]]楽理科卒。
 
[[1960年]]、[[水野修孝]]日本で最初のフリーミュージックとイベントを行う「[[グループ・音楽]]」を結成。同時期に米国の[[フルクサス]]に参加。
 
1964年、[[武満徹]]、[[一柳慧]]とCollective musicを結成。[[マース・カニングハム]]舞踏団の初来日で、[[ジョン・ケージ]]、[[デイヴィッド・チューダー]]と共演。
 
1965年、渡米、ニューヨーク・アヴァギャルド・フェスティヴァルに参加。
 
1967年、欧州で、各地のフルクサス作家と交流。デュセルドルフ、アムステルダム、ベルリン、コペンハーゲン等でコンサート。
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1969年、[[タージ・マハル旅行団]]結成。ストックホルムの「ユートピア&ビジョン」
 
    ロンドンの実験音楽祭「ICES’72」等に参加、幅広い演奏活動を行う。
 
1970年、[[日本万国博覧会]]で祭り広場の音楽制作。
 
1975年、美学校に小杉武久音楽教場を開設。生徒による即興音楽集団 "イースト・バイオニック・シンフォニア"を監修。
 
[[1977年]]、[[アメリカ合衆国|米国]]移住、[[マース・カニングハム]]舞踏団の音楽監督を勤める。[[ヴァイオリン]]演奏家としても活動する。テクノロジーを使ったしなやかな表現が見られるようになる。
 
1978年、パリの"フェスティヴァル・ド・オートン" "ラ・サントボーム音楽祭"に参加。