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1950年代、[[ヒマラヤ山脈|ヒマラヤ]]で、[[1950年]](昭和25年)の[[アンナプルナ]]、[[1953年]](昭和28年)の[[エベレスト]]、[[1956年]](昭和31年)の[[マナスル]]の初登頂など、8000メートル峰(14座ある)の初登頂ラッシュ{{sfn|羽根田|2010|pp=29-30}}{{efn2|アンナプルナはフランス隊による「人類初」の8000メートル峰登頂、エベレストはイギリス隊のエドモンド・ヒラリーとシェルパのテンジン・ノルゲイによる世界最高峰初登頂、マナスルの初登頂は[[槇有恒]]率いる日本山岳会隊の[[今西壽雄]]とシェルパのギャルツェン・ノルブによるもの。}}が続き、これを受け再び登山ブームが起きた。このブームの特徴は、大学や高校の山岳部に代わって、社会人山岳会の活動が活発になったことである{{sfn|羽根田|2010|p=30}}。この時期、[[1955年]](昭和30年)有名な[[ナイロンザイル事件]]が起きた{{sfn|羽根田|2010|pp=29-32}}。また、[[谷川岳]]では、多発する遭難事故を受けて、群馬県が[[1966年]](昭和41年)に[[登山条例|群馬県谷川岳遭難防止条例]]を制定した{{sfn|羽根田|2010|pp=32-35}}{{efn2|谷川岳の遭難死者数は[[2008年]](平成20年)までに792人で、本書によれば、「世界でいちばん遭難死者が多い山」として[[ギネス世界記録]]に認定されているという{{sfn|羽根田|2010|pp=32-35}}。}}。[[1971年]](昭和46年)、海外で「先鋭的な登攀」を行ってきた人達が(社)日本アルパイン・ガイド協会を設立し、登山のガイドや山岳ガイドの養成、資格認定などを行い始めた{{sfn|羽根田|2010|pp=236-238}}。[[1960年代]] - [[1970年代]]、山岳部や山岳会が「先鋭的な登攀」を続ける一方で、一般の人々が[[ハイキング]]から縦走登山、[[ロッククライミング|岩登り]]まで、好みと能力にあわせて広く楽しむようになった{{sfn|羽根田|2010|pp=29-30,39}}{{efn2|羽根田治 『山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か』 (平凡社、2010年)は、近代登山以降という尺度で見た場合という観点からとして、このブームを第2次登山ブームと呼んでいる{{sfn|羽根田|2010|pp=29-30,39}}。同書によれば、一般的には、このブームを第1次登山ブームと呼ぶ場合が多いという{{sfn|羽根田|2010|pp=18}}。}}。
 
1980年代、山岳部や山岳会が衰退し始め、また、登山者に占める[[中年|中高年]]者の割合が増え始めた。若い世代が山登りを[[3K]]というイメージで捉えて敬遠するようになり、育児が一段落した人たちが山登りを趣味とし始め、仕事をリタイアした世代が若い頃に登った山に戻り始めたことが理由であると考えられる。これに[[健康ブーム|健康志向]]と[[日本百名山]]ブームが輪をかけ、[[2010年]]現在に至っている。このブームで、ツアー登山が盛んになった{{sfn|羽根田|2010|pp=224-227}}{{efn2|「旅行会社のパック旅行のような{{sfn|羽根田|2010|p=225}}」形態のツアー登山の先駆けは、1970年代末頃と考えられる{{sfn|羽根田|2010|pp=224-227}}。}}。このブームの時代、[[1990年]](平成2年)、各地に設立された山岳ガイド団体が日本山岳ガイド連盟を設立し、ガイド資格の発給を行うようになった。[[2003年]](平成15年)、日本アルパイン・ガイド協会が日本山岳ガイド連盟を合併して(社)日本山岳ガイド協会が発足、日本全国統一基準のガイド資格が生まれた{{sfn|羽根田|2010|pp=236-238}}{{efn2|[[2007年]](平成19年)日本アルパイン・ガイド協会が日本山岳ガイド協会を脱会、[[2010年]](平成22年)1月現在、山岳ガイドの資格認定を行う全国的な団体は2団体となっている{{sfn|羽根田|2010|pp=236-238}}。}}。また2010年今日、また若者が登山に戻りつつある{{sfn|羽根田|2010|pp=50-53}}{{efn2|本書羽根田治 『山の遭難 あなたの山登りは大丈夫か』 (平凡社、2010年)は、近代登山以降という尺度で見た場合という観点からとして、ここから続くブームを第3次登山ブームと呼んでいる。p.52 ではおり{{sfn|羽根田|2010|pp=50-53}}、このブームの始期は1980年代後半から1990年代初頭と認識するのが妥当ではないかとしている{{sfn|羽根田|2010|pp=50-5352}}。}}。
 
== 登山の技術 ==