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| 死没 = [[昭和]]4年([[1929年]])[[1月2日]]
| 改名 = 基若(幼名)→利与
| 別名 = 泰次郎([[仮名 (通称)|通称]]
| 戒名 = 宝台院殿仁誉昌徳利与大居士
| 墓所 = [[茨城県]][[古河市]]大手町の[[正定寺 (古河市大手町)|正定寺]]
| 官位 = [[従五位]]下、大炊頭、[[従三位]]、[[子爵]]
| 幕府 = [[江戸幕府]]
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| 特記事項 =
}}
'''土井 利与'''(どい としとも)は、[[下総国|下総]][[古河藩]]の第7代(最後[[藩主]]。土井家宗家14代。
 
== 生涯 ==
嘉永4年(1851年)6月28日、第6代藩主・[[土井利則]]の長男として[[江戸]][[日比谷]]の古河藩上屋敷で生まれる。元治2年([[1865年]])4月1日、将軍[[徳川家茂]]に拝謁する。同年12月15日、従五位下内膳正に叙任する。家督相続後、大炊頭に改める。[[慶応]]3年([[1867年]])4月5日、父利則の[[隠居]]により[[家督]]を継いで第7代藩主となる。慶応4年([[1868年]])1月14日、旧幕府から神奈川守備の増強を命じられる。同年4月6日、上洛して新政府に対して恭順の姿勢を示す。同年閏4月22日、新政府軍へ貸し付けていた軍資金10500両を献上することを申し出る。
 
[[明治]]2年([[1869年]])6月の[[版籍奉還]]で古河[[知藩事|藩知事]]に任じられ、明治4年([[1871年]])7月15日の[[廃藩置県]]で免官された。明治17年([[1884年]])、子爵となる。昭和4年(1929年)1月2日に死去。享年79。
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{{DEFAULTSORT:とい としとも}}
[[Category:土井氏|としとも]]
[[Category:古河藩主]]
[[Category:幕末の大名]]
[[Category:日本の子爵]]
[[Category:古河土井|としとも]]
[[Category:1851年生]]
[[Category:1929年没]]