「井伏鱒二」の版間の差分

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==盗作、剽窃疑惑==
井伏の死後、[[歌人]]の[[豊田清史]](歌人)井伏の、代表作『黒い雨』が被爆者で豊田の知人である重松静馬の日記をほぼそのままの形で使ったものに過ぎないと主張した。<ref>『「黒い雨」と「重松日記」』(風媒社、1993)、同『知られざる井伏鱒二』(蒼洋社、1996)、同「井伏鱒二の『黒い雨』は盗作だったのか」(『週刊金曜日』1995・12・15)などを参照。</ref>
 
豊田の主張について近代文学研究者の[[相馬正一]]は「読者に「黒い雨」がいかにも「重松日記」の盗作であるかのような印象を与えた」と述べ、豊田が「重松日記」の本文を改竄し、『黒い雨』の本文に近づけるという操作を行っていることを批判している<ref>「「黒い雨」盗作説への反論」(『東京新聞』1997・8・6~7)</ref>。
 
ただし、豊田自身が「盗作」という言葉を使ったことはない。何故なら、重松が『黒い雨』に自身の日記を使用することを許諾していた以上「盗作」と主張するのが無理であることは豊田もよくわかっていたからだ。豊田は「「盗作だったのか」はまったく「[[週刊金曜日]]」が一方的につけた題名である」と説明している<ref>「『黒い雨』をめぐって 相馬正一氏への反論」(『東京新聞』1997・9・2)</ref>。豊田の主張に依拠した作家の[[猪瀬直樹]]『ピカレスク 太宰治伝』(小学館、2000)2000、文春文庫、2007)が『黒い雨』の価値を全否定したことで、この問題は広く知られるようになった。だが、近年では豊田の主張には数々の虚偽が含まれていることが広く知られている<ref>栗原裕一郎『<盗作>の文学史 』(新曜社、2008年)参照。</ref>。また、重松静馬の日記は『重松日記』(筑摩書房、2001)として刊行されているので、『黒い雨』が重松の日記をほぼそのままの形で使ったものに過ぎないのかどうかは誰にでも確認できる。
 
==各賞・栄典==