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|補足 =
}}
{{読み仮名|'''深見 東州'''|ふかみ とうしゅう|本名:{{読み仮名|'''半田 晴久'''|はんだ はるひさ}}、)[[1951年]][[3月18日]] - }}は、[[日本]]の[[宗教家]]、神道系の[[宗教法人]][[ワールドメイト]]の教祖{{sfn|井上順孝|2005|p=555-556}}。実業家、経営コンサルタントでもある。
 
== 名称 ==
主に、宗教活動や芸術活動を行う際は、{{読み仮名|'''深見東州'''|ふかみ とうしゅう}}という通名を使用している。ビジネスやスポーツや芸術の後援、ビジネス系の執筆や評論活動を行う際は、本名の{{読み仮名|'''半田晴久'''|はんだ はるひさ}}で活動している。また、劇団[[団長]][[小説家]][[詩人]]等の文芸活動を行う際は、{{読み仮名|'''戸渡阿見'''|とと あみ}}というペンネームを使用している。{{読み仮名|'''レオナルド{{lang|ja-Latn|TOSHU}}'''|レオナルドとうしゅう}}というペンネームをラジオパーソナリティ名やTwitterで使用している。過去には、{{読み仮名|'''深見青山'''|ふかみ せいざん}}というペンネームを使用していた<ref name="shimada"/>。他、美川献花、夏目そうしき、ブツダン・ピエール{{sfn|日外アソシエーツ|2005|p=2143}}。複数の名を使う理由を、深見は、「それぞれの世界で成り切るため」と述べている<ref name="j1704"/>。
 
== 人物 ==
[[神道]][[新宗教]][[ワールドメイト]]の教祖であり、実業家であり、経営コンサルタントとしてシンポジウムや講演を主催している。ワールドメイトは2004年時点で5万人余りの会員がいる{{sfn|井上順孝|2005|p=555-556}}。多様な芸術活動を行い、豊富な資金力でスポーツや芸術などの後援も行っている。神人合一により新しい時代を切り開き、「[[弥勒]]の世」を実現すること目指しているという{{sfn|沼田健哉|1991|pp=276-277}}。
 
深見は宗教家であり実業家でもある。そのため、深見は宗教者として他の教祖のように常にカリスマを演出するのではなく、セミナーではギャグを連発したりする一方、神事では厳かにふるまうなど、時と場合によって態度や行動を使い分けることができる{{sfn|沼田健哉|1991|pp=246}}。深見宗教家という言葉には収まらない多様な活動を行っており、[[ワールドメイト]]教祖の他、公式ホームページには事業活動として予備校、商社、出版社、経営コンサルタント、旅行会社という項目があり、いずれも深見が中心となり(名義は本名の半田で)事業を行っている<ref name=teraishi/>。[[みすず学苑]]という予備校の運営や時計の輸入販売などを行う[[ミスズ]]、深見の書籍等を出版する[[たちばな出版]]、薬局{{sfn|いのうえせつこ|1993|p=215}}、占い喫茶「あ・たーる」{{sfn|いのうえせつこ|1993|p=215}}、ジャパン・ペガサス・ツアー社{{sfn|井上順孝|2005|p=555-556}}等の中小企業を経営しているほか、オーストラリアの観光会社やイギリスのホテルと観光会社等の経営を行っており、国内外で13社ほどの会社の社長をつとめる<ref name="ironna2017"/>。抽象的理念にとどまらない実践派、経営コンサルタントとして<ref name="kt"/>、経営者を対象としたビジネスセミナーも開催している<ref name="aka36"/>。深見は宗教活動はボランティアであると深見は述べており、[[ミスズ]]の役員手当てで生活しているという{{sfn|溝口敦|1995|p=173 }}。
 
深見は英語が得意で、神道のみならずキリスト教や仏教、儒教や中国の禅語録にも詳しい{{sfn|島薗進|1991|pp=151-154}}{{sfn|沼田健哉|1991|pp=246-313}}。大学生時代には、大本の幹部[[出口京太郎]]の指導を受けたという{{sfn|沼田健哉|1991|pp=252}}。非常に記憶力が良く、[[世界紅卍字会|道院紅卍字会]](大本と中国で協働関係にあった)に関わった営業マン時代に、宗教関係書や古典などを読み漁り、当時随一の碩学であった道院紅卍字会事務局長の根本宏に学び、諸宗教のエッセンスを学んだ{{sfn|沼田健哉|1991|p=254}}。またここで、霊能者の橘カオル(徳田愛子)と出会い師事している{{sfn|沼田健哉|1991|pp=254-258}}。橘は一時期[[世界真光文明教団]]の信者だったことがあり、親族に複数の幹部がいた{{sfn|沼田健哉|1991|pp=254-258}}。教団において、橘は「神の啓示の受け手」、深見は「神の仕組みの担い手」として仕組みを解明し、広める役目であったという{{sfn|沼田健哉|1991|p=302}}
 
宗教学者の沼田健哉は深見を[[シャーマン]]であり[[審神者]]でもあるとしており、シャーマンとしては脱魂と[[憑依]]の両方が見られると述べている{{sfn|沼田健哉|1991|p=305}}。深見は霊能力者であり、悪霊を祓うことができるとしている。[[転生]]を信じていて[[前世]]を見ることができ(つまり[[転生]]を信じている)、[[守護霊]]を鑑定でき、現代医学を併用しつつ病気の霊的な診断ができるという(現代医学を併用する){{sfn|沼田健哉|1991|pp=292-297}}。橘カオルが神に知らされた神示によれば、深見の前世は[[聖徳太子]]であり(橘カオルの前世は[[持統天皇]]とされる)、神界のピラミッドの頂点に立つ日之出大神(元々は大本の神)であり、国祖であり地球神霊界の神が憑依し合体した存在であるとされる{{sfn|沼田健哉|1991|pp=280-302}}。人々の魂を本来限られた人間しか行くことのできない星霊界に連れていく「星ツアー」、[[チャクラ]]をすべて一気に開かせる「チャクラ全開第秘法」、守護霊をレベルの高いものに入れ替える「守護霊早め交代秘法」、悪い因縁のDNAを組み替える「血液転換秘法」、「神霊美容術」、「やせる秘法」など、300以上の秘法を身に着けているという{{sfn|沼田健哉|1991|pp=290-295}}。
 
深見にはビジネスや開運などの著作が多数あるが、その内容は宗教家とは思えないほど重々しさがなく、好意的にとらえるなら親しみやすく気軽に読める内容になっている<ref name=teraishi/>。73万部を突破した「強運」{{sfn|日外アソシエーツ|2005|p=2143}}などの著作は1990年代の[[霊界]]ブームに乗って売れ、著作を介して信者を増やした{{sfn|いのうえせつこ|1993|p=216}}。
 
'''[[神道国際学会]]'''(International Shinto Foundation)という日本文化の研究紹介を行うNGOを設立して活動に深く関与しており、この組織は実質的にワールドメイトの財政援助で成り立っている{{sfn|井上順孝|2005|p=555-556}}。神道国際学会を通じて深見の活動を支持する神道関係者は少なくない{{sfn|井上順孝|2005|p=555-556}}。
 
[[シャーマニズム]]研究も行っており、文明評論や宗教評論の著作がある{{sfn|日外アソシエーツ|2005|p=2143}}。
 
宗教家でありつつ、実業家として生業を営み会社経営を行う背景について、深見は「聖と俗を区別して共存する」という神道ならではの特質によると述べている。深見によると、「聖と俗を区別して共存する」というあり方は、[[聖徳太子]]以来日本古来の神道が育んできた伝統であるとし、日本の経営者は、信仰を拠り所としつつも信仰と経営を混同させず、はっきり区別して共存させ日本型経営にも影響を与えてきたという。そのため、深見が代表をつとめる[[ワールドメイト]]と、深見が経営する企業には、資本関係がなく株式も所有せずに、聖と俗を区別し、共存させているとしている。神道には、「生業(なりわい)や家を栄えさせ、コミュニティーを繁栄させる」とか、「現実を生き貫く精神や魂の、輝きに価値を見出す」という特質もあり、深見もこの特質を持つ活動を行っているという。<ref name="sapio1703"/><ref name="wm5"/>
 
音楽芸術は日本の神々を喜ばせるとして重視している{{sfn|沼田健哉|1991|pp=280-281}}。[[武蔵野音楽大学]]特修科声楽専攻を卒業しており、作詞、作曲、演奏、志木、声楽、和歌、俳句、書道、茶道、華道、絵画、能楽、声明、バレエ、俳優などの芸術文化の多様な活動を行い、芸術関連でも画集、書画集、楽譜集、写真集、CD、ビデオをリリースしている{{sfn|日外アソシエーツ|2005|p=2143}}。ラジオのパーソナリティとして多くのレギュラー番組の実績もある{{sfn|日外アソシエーツ|2005|p=2143}}。芸術支援・芸術家としての活動は[[#芸術活動」の節]]を参照のこと。多様な芸術に取り組む理由について、深見は「西洋人が大事にしている文化を理解し、実践したうえで、日本文化を見せるのです。(中略)相手の土台となる文化や芸術を分かち合い、さらに自分の文化を表現してこそ、世界的な文化人として認めてもらえます<ref name="aka4"/>」「それぞれ(の芸術)の最高峰のものを行うことで、インターナショナルな人間として共感してもらえるのです<ref name="aka5"/>」と述べている。[[ジュリアード音楽院]]より、[[名誉博士|名誉人文学博士]]を授与される際に「現代の[[博学者|ルネッサンスマン]]」と評された<ref name="J0905"/>。日本語でも英語でもスピーチでギャグを飛ばして会場を笑いでわかせるなど、[[ギャグ]]や[[ユーモア]]を常に発信している<ref name="gag">{{Cite web |url=http://www.worldmate.or.jp/about/gag.html |title=深見先生が、ギャグやユーモアを 広告やスピーチ等で発信する理由 |publisher=ワールドメイト |accessdate=2015-06-25}}</ref>。
 
ワールドメイトの福祉活動として日本盲人ゴルフ協会(現[[日本ブラインドゴルフ振興協会]])を設立し、[[ブラインドゴルフ]]の援助を行っている{{sfn|溝口敦|1995|p=185}}。深見は「信仰理念に基づくコスモメイト(現ワールドメイト)の社会活動の一環」であると述べている{{sfn|溝口敦|1995|p=185}}。スポーツ支援・障害者スポーツ支援は[[#スポーツ]]を参照のこと。
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深見は仏教に深い知識を持つが、宗教者としては神道の立場にあり<ref name=teraishi/>、ワールドメイトは在家神道であるとしている{{sfn|溝口敦||1995|pp=164-165}}。宗教学者の沼田健哉は、深見の教えは[[教派神道]]の一派と見做すべきものであるが、著作において神社神道の世界を紹介していることを指摘している{{sfn|沼田健哉|1991|pp=280-281}}。深見の教えは「仏教、儒教、道教、神道の要素外では[[大本]]教の教えと重なる部分が多いが、それに[[世界真光文明教団]]、[[世界紅卍字会|道院紅卍字会]]等の他の教団の教えと彼独自のものが付け加わっている」と評している{{sfn|沼田健哉|1991|pp=276-277}}。また沼田は、伝統的なものと最先端のものの融合が見られ、[[ニューエイジ]]と類似した面があると述べている{{sfn|沼田健哉|1991|p=306}}。
 
{{読み仮名|'''御親元素大御神様'''|みおやもとすおおみかみ|別名{{ruby|'''&#x29BF;'''|の神、}}'''の神'''}}を最も重視しており、「姿なく終わり無く、無限絶対・無始無終」の宇宙的な神であるとしている<ref name=teraishi/>。スの神は[[世界救世教]]、[[世界真光文明教団]]の崇敬対象と同じであり{{sfn|沼田健哉|1991|p=256}}、橘カオルに1972年(深見と出会う前)に降り、使命を与え、深見との出会いを予言した神であるという{{sfn|沼田健哉|1991|pp=254-258}}。キリスト教の[[ヤハウェ]]、[[天照大神]]や[[国常立命]]、[[守護霊]]などもすべてスの神が人間に分かりやすいように仮の姿で顕れたものであるとしている{{sfn|溝口敦||1995|pp=164-165}}。スの神と神道が結びつく理由は明らかでないが、ジャーナリストの溝口敦|は神道系新宗教の大本の影響を指摘している{{sfn|溝口敦||1995|pp=164-165}}。
 
ワールドメイトは[[天照大御神]]をはじめ八百万の神々を奉じる神道系宗教団体であり、確固とした教義はないとされる<ref name=teraishi/>。様々な神仏が取り入れられており、ご利益があるとされる非常に多種多様なグッズが販売されている。深見の宗教的世界観は次のようなものである。太陽系は目に見える物質の世界である「現実界」、目に見えない霊の住む「[[霊界]]」、神の世界「神界」の三つの世界からなり、それぞれの世界は呼応し合っており、物質界より霊界が、霊界より神界の能力が高く、神が主導権を握っている<ref name=teraishi/>。神界は世界中にあるが、本当の神界があるのは日本だけであるとしている{{sfn|沼田健哉|1991|pp=276-277}}。過去に古代文明の栄えた[[ムー大陸]]があったと考えており、そのころは神界と現実界が互いに良く認識していた神代であると考えている{{sfn|沼田健哉|1991|pp=276-277}}。
 
人間は肉体を持つ霊であり、地球にだけ存在するとされる<ref name=teraishi/>。人間は物質的存在であると同時に霊的存在であり、人間は神界の意を受け、霊界のバックアップのもとで生きている<ref name=teraishi/>。神霊は御親元素大御神様を頂点とするピラミッド構造になっており、会社のように上下の組織があり、企業の販売網のようにテリトリーがあるという<ref name=teraishi/>。龍、天狗、地球外知的生命体UFOなどは、主神と人間の間に立つ中間の神とされる<ref name=teraishi/>。
 
深見は神社参拝を通して開運できると主張しており、神には強弱や専門があるとし、自分の願いに適した神社を見極めて参拝するよう勧めている<ref name=teraishi>寺石悦章
[http://ci.nii.ac.jp/naid/110007041650 深見東州の巡礼論] 四日市大学総合政策学部論集 7(1/2), 55-69, 2008-03 四日市大学</ref>。ビジネスに関する発言も多く、神社参拝での開運についても、商売繁盛、資金繰りなどが随所で言及されている<ref name=teraishi/>。
 
彼の思想にはナショナリズムとインターナショナルな要素が入り混じっており{{sfn|沼田健哉|1991|p=304}}、天皇制を重視し、世界連邦の形成を目指している{{sfn|沼田健哉|1991|p=304}}世界連邦形成のために諸宗教の対話が必要であるとし、そのために政治を重視している{{sfn|沼田健哉|1991|p=304}}。沼田健哉によれば、[[カール・マルクス]]は国常立之大神の分身であるとされ、深見の掲げる「弥勒の世」は、マルクスが『ドイツ・イデオロギー』で描いた共産主義の世界と類似があるとされる{{sfn|沼田健哉|1991|pp=280-281}}。
 
== 来歴 ==
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===大学時代===
深見は地元関西の[[同志社大学]][[経済学部]]学した{{sfn|沼田健哉|1991|p=251}}。専攻は[[国際金融]]論、ゼミでの深見のテーマは「[[南北問題]]の経済援助について」。大学生の頃から、他人の未来や心が透視できるという具体的な霊能力が現れたといい、4年生の頃には学内外で知られるようになっていたという{{sfn|沼田健哉|1991|pp=247-252}}。大本の幹部[[出口京太郎]]に声をかけられ、友人と共に彼の指導を受けたという{{sfn|沼田健哉|1991|pp=252}}。
 
大学内の英語研究会[[ESS]]でプレジデント([[委員長]]討論[[ディベート|ディスカッション]]セクションの代表を務め400人の部員をまとめ組織改革を行う<ref name="aka3"/>。京都は外国人観光客が多かったことから、[[日本文化|日本文化]]を英語で論理的に説明することに興味を持ち、英語研究会ESSで英語コミュニケーション能力を磨き、これがのちの活動のベースになっているという<ref name="aka3"/><ref name="aka4"/>。大本との関係は、大学を卒業してしばらくの間続いていた{{sfn|沼田健哉|1991|pp=247-252}}。
 
=== 会社の創業、宗教団体の設立 ===
[[大和ハウス工業]]に就職し、[[営業マン]]として東京に赴任する{{Sfn|井上順孝|孝本貢|対馬路人|中牧弘允|西山茂|1996|pp=323-324}}。[[1977年]]に、大本と提携している[[銀座]]の[[世界紅卍字会|道院紅卍字会]]に出入りするようになり、1977年に一時世界真光文明教団の信者だったこともある霊能力者の橘カオル(徳田愛子)に出会った{{sfn|沼田健哉|1991|pp=254-258}}。橘カオルはごく普通の安定した家庭の主婦であったが、33歳の時に夢枕に神が降り、1972年に&#x29BF;の神(スの神)が降り、深見との出会いを予言されていたという{{sfn|沼田健哉|1991|pp=254-258}}。深い宗教関係の知識を持っていた深見は、「なにも持たず、知らず、生活から出た神意のポイントしか指摘しない」橘に非常な衝撃を受け、教えを乞うようになり、家族や宗教的な仲間たちと共に橘家とその周辺に引っ越した{{sfn|沼田健哉|1991|pp=254-259}}。
 
深見とその家族、仲間たちは橘の家で1年間共同生活を行い{{sfn|沼田健哉|1991|pp=254-259}}、1978年に深見は大和ハウス工業を退職した。橘は東京に株式会社三十鈴(現[[ミスズ]])を設立し、深見は株式会社三十鈴が運営する予備校三十鈴学苑(現[[みすず学苑]])を設立した{{Sfn|井上順孝|孝本貢|対馬路人|中牧弘允|西山茂|1996|pp=323-324}}<ref name="THEMIS1401"/>。その後、深見青山という名前で著作を刊行するようになる{{sfn|井上順孝|2005|p=555-556}}。
 
1984年、任意団体コスモコア(現[[ワールドメイト]]){{Sfn|井上順孝|孝本貢|対馬路人|中牧弘允|西山茂|1996|pp=323-324}})を設立、深見と橘がともに運営していた。1985年に有限会社コスモコアを設立し、1987年にコスモメイトに改名{{sfn|井上順孝|2005|p=555-556}}。
 
1987年、橘出版(現たちばな出版)を創業する<ref name="aka2"/>。37歳でオーストラリアの[[パース (西オーストラリア州)|パース]]で会社を買収し、海外においても企業経営を始める<ref name="gag"/>。イギリスでも、ホテルと観光会社の経営を行い、国内外で13社ほどの会社の社長をつとめる<ref name="ironna2017"/>。
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2015年12月8日に、代表取締役社長をつとめる[[ミスズ]]が、「[[ロベルト・カヴァリ バイ フランク・ミュラー]]」の日本総代理店となった<ref name="d151218"/><ref name="fcom1512"/><ref name="mp1512"/><ref name="d151209"/>。
 
2017年6月に、[[ゴルファー]]専用の高級機械式腕時計を製造するスイスブランドメーカー「[[ヤーマン&ストゥービ]]」のオーナー社長に就任する<ref name="PR1708">{{Cite web |url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000003.000019561.html |title=ハイセンスなデザイン創造性を融合した高級腕時計「HYSEK」ゴルファー専用の機械式腕時計「JAERMANN&STUBI」「HYSEK日本総輸入元契約の発表、2017年新作ウオッチコレクション販売開始」 |publisher=PR TIMES |accessdate=2017-08-04 }}</ref>。
 
== 活動(宗教・ビジネス以外) ==
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書は、16歳より[[兵庫県立鳴尾高等学校]]書道部部長として、田端曲全に師事し<ref name="aka1"/>、その後は独学で続けていたが、35歳より竹中青虎に学び、[[西川寧]]の孫弟子となる<ref name="aka2"/>。
 
絵画は、35歳より独学で始める。その後、[[仏画]]を浅井秀水、[[日本画]][[水彩画]]を犬飼得之に、[[油絵]][[洋画|西洋画]]を松下友紀に、水墨画を安永麦州に師事し、様々なジャンルの学びを深める。1997年に初の個展を開催し、1997年には[[ソーホー (ニューヨーク)|ニューヨークソーホー]]のグラントギャラリーで個展を開催。[[2001年]]から毎年、誕生日の前後に1年間書きためた新作の展覧会を開催している<ref name="gallery1"/>。[[2002年]]9月、{{仮リンク|中国芸術研究院|zh|中国艺术研究院}}より、中国美術界最高称号である<ref name="k0209"/>外国人初の一級美術師称号を授与され<ref name="b0209"/><ref name="bijutusi"/>、アクリル画「青龍神と緋鯉」が永久所蔵される<ref name="ch0209"/>。2003年10月、『日豪芸術交流祭』において、水墨画「キラキラ天の川」作品が、330人の日本の画家の中から選ばれ、「西オーストラリア州芸術文化大臣賞」「パース市長賞」「審査員最優秀賞」の3賞を同時受賞し、パース市より「名誉芸術家」の称号を授かる<ref name="j0908b"/>。2006年に [[清華大学美術学院]]美術学学科博士課程修了、文学博士を取得する。博士論文のタイトルは、「芸術市場の流通の変遷における日中美術品から見た芸術と市場の関係」(从中日美术品在艺术市场的流通变迁看艺术与市场的关系)であり<ref name="seika2006"/>、日本語の書籍としても出版されている。
 
子どもの頃音楽教育を受けることなく、ピアノ、バイオリン、作曲と和歌([[岡野弘彦]]に師事)をはじめる<ref name="ongaku"/>。40歳で歌手デビューを果たす<ref name="aka5"/>。クラシックバレエや[[京劇]]もはじめる。1997年、46歳で[[武蔵野音楽大学]]特修科[[声楽]]専攻を修了し<ref name="musashino"/>、オペラ歌手デビューを果たす。1998年には47歳で、西オーストラリア州立[[エディスコーエン大学]]芸術学部大学院([[西オーストラリアパフォーミングアートアカデミー]], WAAPA) に入学してオペラ等の舞台芸術を学ぶ。2002年(51歳)に西オーストラリア州立[[エディスコーエン大学]]芸術学部大学院を修了し、創造芸術学修士<ref name="koen"/><ref name="zokuaka6"/><ref name="ongaku"/>を取得する。[[修士論文]] "The living artist"<ref>[http://ro.ecu.edu.au/theses/738/ "The living artist " by Haruhisa Handa] - Edith Cowan University</ref>(原文は日本語<ref>{{Cite web |url=http://ro.ecu.edu.au/cgi/viewcontent.cgi?article=1739&context=theses|title=The Living Artist|format=PDF |publisher=半田晴久 |p=5 |accessdate=2015-10-25}}</ref>)。
 
1993年、深見、[[マイヤ・プリセツカヤ]]、コスモメイト会員が出演するバレエオペラ『天の安河のうけひ』を上演{{sfn|沼田健哉|1991|pp=260-263}}。
 
[[2002年]]10月には、外国人初の中国国立歌劇舞劇院の一級声楽家称号を授与され、正団員及び歌劇舞劇院海外芸術顧問をつとめる<ref name="mw0211"/><ref name="kageki"/>。
 
[[2006年]]、[[清華大学美術学院]]美術学学科[[博士]]課程修了、同美術学院で文学博士<ref name="market"/><ref name="h-handa30"/>。[[浙江大学]]大学院中文学部博士課程修了、博士論文は「日本入宋僧研究」<ref>[http://find.nlc.gov.cn/search/showDocDetails?docId=-7754782226472120903&dataSource=ucs01 日本入宋僧研究] 2006年 - [[中国国家図書館]]</ref>、同大学院で[[2007年]]に文学博士<ref name="market"/><ref name="h-handa30"/>。2007年9月から{{仮リンク|浙江工商大学|zh|浙江工商大学}}日本文化研究所教授<ref name="zjgsu"/>
 
2007年5月、56歳で、大衆演劇をコンセプトとした「明るすぎる劇団・東州」を旗揚げした<ref name="j0903a"/><ref name="gallery2"/>。戸渡阿見名義で、自ら劇団団長、総合プロデューサー(監督)として原作、脚本、演出、衣装、音楽を全て行っている。団長をつとめる[[明るすぎる劇団・東州]]の毎年の定期公演では、ギャグコスプレに扮し、ギャグパントマイムを行っている。<ref name="yf1607"/><ref name="ts160524"/>
 
[[2008年]]、[[世界開発協力機構]] (WSD) を設立 ([[#世界開発協力機構総裁」の説を参照|後述]])。同年に[[世界芸術文化振興協会]]と[[ジュリアード音楽院]]との協定を結び、日本人が同学院の音楽科の一次入試を国内で受験できる制度を兼ねる「ジュリアード音楽院声楽オーディション」を創設し、若手の育成にも力を注いでいる<ref name="mc0812"/>。
 
2012年、オーストラリアのシドニーで屋外オペライベントが始まり、大口スポンサーである深見の名を冠し「ハンダ・オペラ・オン・シドニー・ハーバー」と命名された。毎年3週間開催されている<ref>[https://style.nikkei.com/article/DGXBZO69623040Z00C14A4000000 シドニー湾に浮かぶ「蝶々夫人」 日本人プリマの大村博美に大喝采] NIKKEI STYLE 2014/4/14</ref><ref>[https://opera.org.au/ja/welcome#handa opera on sydney harbour オペラオーストラリア]</ref><ref>[http://style.qantas.jp/area/nsw/walking/news/2015/12/2016.php 野外オペラ、ハンダ・オペラ・オン・シドニー・ハーバー2016年の演目は「トゥーランドット」に決定!] ニューサウスウェールズ州政府観光局</ref>。
 
===スポーツ ===
[[2003年]]、[[国際スポーツ振興協会]] (ISPS) を設立し、ブラインドゴルフやメジャーのみならずシニアやジュニアにまで裾野を広げたゴルフ大会を主催していく。世界のメジャーツアーや[[ワールドカップ (ゴルフ)|ワールドカップ]]等では「ISPS Handa」「Handa」を冠した大会が開催されるようになる。主催する[[フィランスロピー]]大会では、選手が賞金の一部を社会福祉団体に寄付することとし、ボウリングを通した社会貢献を推進している<ref>{{Cite web |url=http://www.isps.or.jp/01-hcppbt/|title=第1回 HANDA CUPフィランスロピー プロボウリングトーナメント|publisher=一般社団法人 国際スポーツ振興協会|accessdate=2013-11-18}}</ref>。
 
2006年より日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)で、日本女子シニアプロ登録の制度が始まり、日本女子シニア初のQT(クォリファイングトーナメント)も開催される。こうしたゴルフ興隆に対する貢献等により<ref name="ggd0909"/>、2006年より[[ライダーカップ]]や[[ソルハイムカップ]]のレジェンズツアー版として、本名の半田を冠した[[ハンダカップ]](レジェンズツアー主催)という、女子シニアプロ団体戦が毎年開催されている<ref name="gd0605"/><ref>{{Cite web |url=http://www.isps.or.jp/concept.php#c2|title=女子シニアゴルフとの出会い|publisher=国際スポーツ振興協会|accessdate=2014-05-29}}</ref>。2013年からは、[[ハンダカップ|ISPSハンダカップ]]に改称した。
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== メディア出演 ==
=== ラジオ ===
;{{ruby|{{lang|en|* SEIZAN THIS WAY}}|WAY(セイザン・ィス・ウェイ}}<!-- this の読み仮名[[1990年]]11月〜[[1992年]]3月、毎週日曜日朝に放送。[[FM福岡]]をキー局として「ズィス」を使うのは英語辞書のサイト ALC https://eow.alc.co.jp/search?q=this による放送-->
*:[[1990年]]11月〜[[1992年]]3月、毎週日曜日朝に放送。[[FM福岡]]をキー局として放送。深見東州がカンボジア等での福祉活動や芸術活動をインタビューを交えながら紹介したり、芸術や音楽、人生についての自論を語ったり、各界のゲストを迎え対談を行う番組。
:* さわやかTHIS WAY(さわやかディス・ウェイ) - 1992年4月〜[[2012年]][[3月25日]]、毎週日曜日朝に放送<ref>[http://blogs.yahoo.co.jp/shiinomi100/57114413.html 民放FM「さわやか {{lang|en| This way}}」の収録で上京。5月の放送です。(3月24日)-昇地三郎・105歳・習慣健康法・Dr.Saburo・健康長寿]、2013年5月26日閲覧。</ref><ref>[http://blogs.yahoo.co.jp/shiinomi100/57436335.html FM放送「さわやか{{lang|en|This Way}}」日本テレビ系「ここまでわかった!長生きの秘密と真実」読売新聞科学欄、ゴールデンウイークは、昇地三郎の出番です。-昇地三郎・105歳・習慣健康法・Dr.Saburo・健康長寿]、2013年5月26日閲覧。</ref>。[[FM山口]]をキー局として放送。[[たちばな出版]]提供<ref>[http://www.tachibana-inc.co.jp/radio/#radio02 TV・FM番組情報] たちばな出版</ref>。{{lang|en|SEIZAN THIS WAY}} に同じ
;さわやか {{ruby|{{lang|en|THIS WAY}}|ズィス・ウェイ}}<!-- this の読み仮名として「ズィス」を使うのは英語辞書のサイト ALC https://eow.alc.co.jp/search?q=this による。-->
*:SEIZAN THIS WAYに同じ。
:1992年4月〜[[2012年]][[3月25日]]、毎週日曜日朝に放送<ref>[http://blogs.yahoo.co.jp/shiinomi100/57114413.html 民放FM「さわやか {{lang|en|This way}}」の収録で上京。5月の放送です。(3月24日)-昇地三郎・105歳・習慣健康法・Dr.Saburo・健康長寿]、2013年5月26日閲覧。</ref><ref>[http://blogs.yahoo.co.jp/shiinomi100/57436335.html FM放送「さわやか{{lang|en|This Way}}」日本テレビ系「ここまでわかった!長生きの秘密と真実」読売新聞科学欄、ゴールデンウイークは、昇地三郎の出番です。-昇地三郎・105歳・習慣健康法・Dr.Saburo・健康長寿]、2013年5月26日閲覧。</ref>。[[FM山口]]をキー局として放送。[[たちばな出版]]提供<ref>[http://www.tachibana-inc.co.jp/radio/#radio02 TV・FM番組情報] たちばな出版</ref>。{{lang|en|SEIZAN THIS WAY}} に同じ。
* レオナルドTOSHUの遊びがNight(レオナルドとうしゅうのあそびがないと) - [[2009年]][[4月4日]]〜[[2012年]][[3月24日]]、毎週土曜日22:30〜23:00に[[エフエムナックファイブ|NACK5]]で放送。提供は[[たちばな出版]]、[[みすず学苑]]<ref>[http://www.tachibana-inc.co.jp/radio/#radio01 TV・FM番組情報] - [[たちばな出版]]</ref>
;レオナルド{{ruby|{{lang|ja-Latn|TOSHU}}|とうしゅう}}の遊びが{{ruby|{{lang|en|Night}}|ナイト}}
*:[[2009年]][[4月4日]]〜[[2012年]][[3月24日]]、毎週土曜日22:30〜23:00に[[エフエムナックファイブ|NACK5]]で放送。提供は[[たちばな出版]]、[[みすず学苑]]<ref>[http://www.tachibana-inc.co.jp/radio/#radio01 TV・FM番組情報] - [[たちばな出版]]</ref>。ゲストとのトーク、人生相談(リスナーから寄せられた悩み相談に答える形式)、お題頂戴などのテーマを週替わりで放送した。{{読み仮名|{{lang|en|[[Podcast]]}}|ポッドキャスト}}配信も行っており、オリジナルコンテンツ映像や音声を配信していた<ref>[http://www.audio-podcast.fm/audio-podcast-archive/レオナルドtoshuの遊びがnight-223886.html Podcast archive: レオナルドTOSHUの遊びがNight]、2013年5月26日閲覧。</ref>
*:[[Podcast]]配信も行っており、オリジナルコンテンツ映像や音声を配信していた<ref>[http://www.audio-podcast.fm/audio-podcast-archive/レオナルドtoshuの遊びがnight-223886.html Podcast archive: レオナルドTOSHUの遊びがNight]、2013年5月26日閲覧。</ref>。
;深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話
:* 深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話([[日経ラジオ社|ラジオNIKKEI第1]]) 2015年10月23日〜 毎週金曜23:30〜24:00<ref>[http://www.radionikkei.jp/utahanashi/ 番組紹介]、[[日経ラジオ社|ラジオNIKKEI第1]]。</ref>
 
== 出典 ==