「鳥尾小弥太」の版間の差分

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* 封建制度の終焉となった[[廃藩置県]]は、鳥尾と[[野村靖]]による会話を山縣に提起したことが発端とする説がある。
* 明治33年([[1890年]])の帝国議会。[[司法大臣]]・[[山田顕義]]が[[フランス]]人法律家の任用を可能とする改正案を提議したところ、当初、鳥尾は強硬に反対したものの、翌日の議会では賛成に転じた。この変節には他の議員も驚いたが、山田が涙を揮って苦心を説いたことが変節の理由であり、これに動かされて変節するに及んだという。実際、このような話は他にも沢山あったらしい。
*当時の日本人の外国における面白エピソード集『赤毛布』([[熊田葦城]]・著、明治33年)に、「鳥尾小弥太の苺代」という項がある。欧州外遊中の鳥尾が[[パリ]]にて季節はずれの[[苺]]を散々食べ散らかし、請求された予想外の代金に驚愕するエピソードが収められている。
*墓所は兵庫県加古川市に存するが、これは父が[[参勤交代]]の途次、加古川の旅館菊屋で死亡したためである。維新後に墓参に訪れた際、父の最期を看取った旅館の老婦人から、「他は何も気にかかることはないが、江戸に残してきた息子のことが気にかかる」との遺言を聞かされた鳥尾は、「自分の死後は父の墓に埋葬せよ」と遺言している。