「スタジアム・ガル」の版間の差分

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さて、最後にガリシア語です。翻訳に使っていません。画像をコピーして新事実が無いか見たのみです。以上、スタジアム・ガルの履歴継承でした。
Stadium Gal 22:09, 31 urria 2017‎ (UTC)) バスク語版マークアップミス
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1926年9月26日の開場時には、レアル・ウニオンと[[FCバルセロナ]]の試合が行われた。この開場は建築会社「[[ペルフミア・ガル]]」を経営する地元の資産家[[サルバドール・エチェンディア・ガル]]氏によるピッチの寄贈のお陰である。[[コパ・デル・レイ]]を2回制覇したクラブの黄金期に建てられた。1918-24年の間に2回コパ・デル・レイを制し、[[1922年]]には準優勝した。[[1927年]]には[[アレナス・クルブ・デ・ゲチョ]]を決勝で破り3度目の優勝を果たした。
 
当時のガルは[[アスレティック・ビルバオ]](本拠地[[サン・マメス (1913年)|サン・マメス]]のこけら落としの相手がレアル・ウニオンであった)、[[セルタ・デ・ビーゴ]](本拠地バライドスのこけら落としの相手がレアル・ウニオンであった)、[[スポルティング・デ・ヒホン]]、[[レアル・マドリード]]、FCバルセロナ、[[レアル・ソシエダ]]、[[RCDエスパニョール]]、[[ラシン・サンタンデール]]、[[アトレティコ・マドリード]]などを、トップリーグの舞台で迎えた。
 
[[1950年]]にはピッチの周囲にレース用[[トラック]]が作られた事があり、ブエルタ・ア・エスパーニャ第6ステージ、ビルバオ-イルン間のゴール地点に使われれ、ジャン・ボベ、コッピ、[[フェデリコ・バーモンテス]]、[[ミゲル・ポブレット]]などの同時代の最高の[[自転車競技選手|サイクリスト]]達も、このトラックを走った<ref>{{Cite web|url=https://www.realunionclub.com/stadium-gal|title=Real Unión Club {{!}} Stadium Gal|accessdate=2019-01-07|website=realunionclub|language=es}}</ref>。